被害者への弾圧

この地域にも見ての通り風力被害者がいて苦しんでいる。ちょうど我が家の山一つ隔てた北側の集落だ。ここに例の谷口さんの実家がある。とても奇妙な風習があって、住民が一致団結して私に厳しい視線を向ける。誰一人として、私に話しかけることはない。村の掟になっている。掟さえ守れば村人が守ってくれるんだろうか。かつては原発計画のあった村だから、なんかヘンなのだよ。私はターゲットだから当然かな。

h24年に低周波音測定器で観測すると、2Hzのところで音圧が85dbもあった。このページの初めの所に測定データがあるから見たらよい。夜に寝ていられない、という話を聞いていた。今も何人かの人が苦しんでいるはずだよ。それでも絶対に言わないね。隣町は広川町、その隣が湯浅町だ。あの時、原発ができなかったのは湯浅町に知恵者がいて、もみ消してくれたおかげだろうと思っている。

由良町に反対する人なんかいなかったし、もろ手を挙げて喜んでいた。私が高専の土木科に通っていたころだ。 田舎特有と言うのか、意識の低いことよ。日高町にあった原発計画も消えた。きわどい所だったのだ。だから、と言っておこう。だからこそ彼らはここに風力発電が出来ることを望んだのだ。自治会費の年間1万円が要らなくなったと聞く。それだけで大した収穫なんだよ。

オーストラリアのアボリジニ、南米のインディオたちと変わらない。いや、それらの原住民でさえ、大変な抗議運動を引き起こしているから、この日本の集落の閉鎖性、窮屈な閉じ込めは驚きでしかない。「そういうところなんよ」と谷口さんは笑っていた。風力被害を訴えることは許されざる出来事だったのだ。面白いのは日本中からここに視察に来た人々のアホさ加減だよ。

彼ら環境運動家は、それぞれに「土砂崩れが心配だ」と言っている。被害に苦しんでいるから助けようなんて気配はどこにもない。たぶん真実を見て、それに対応する心構え、と言うのか、差別心を高揚させていた。私も何度か案内役をしたからさ。添付のページがまだ残っていることにも、これを必要とする人がいるんだろうかと考えている。何か目的があるんだろうね。

たくさんの人が作戦を立てて弾圧したから、墓標みたいなものか。インディアンの昔話みたいにな。

ある風車被害者の独白