環境ビジネスのアホらしさ

「よかったよ」と声を掛けられた。何のことかと思ったら、昨日のページに書いた国際政治のカラクリが面白かったと言う。世間の人は、政治の裏も、社会の仕組みも分からないし関心もない、それがバカらしいと言う。「当たり前の事やん」と私。インディオやアボリジニが虐殺されている。原住民はどこでも差別の対象だ。狩りの対象だよ。

東北には今も「マタギ」の人はいるんだろうか。以前、ヨーロッパの研究者と話した時、日本研究の一環として調査に入っていると聞いた。米国コロンビア大の学者もそんなこと言っていたから、日本人が関心もない「日本人論」が世界で飛び交っている可能性がある。彼らの山々が風力発電やメガソーラーに置き換わっていく。

外国のそういった原住民の迫害と同じことだ。日本の環境保護団体の腐れようよ。野鳥の会などを見ると、なんと権力の手先になって環境ビジネスに組み込まれた戦力になっていることか。自然保護とか、野生動物とか。すっかり言葉の意味を無くしてしまっている。いや、カオス、混沌としたカルトになって、「なんじゃこりゃ」という【エセ】環境団体になってしまっている。

アセスをやっているからね。利権集団。酷いものさ。ナチズムと言ったら分かりやすいだろう。Twitter にドイツの記事があった。ドイツ語だから分かりにくいが、自動翻訳で大体の意味が分かる。辞書を引いたら、もっと理解できるだろう。ドイツの首相の言葉に、ドイツ人がたくさんの批判を浴びせている。「いいえ」「それはない」「いらんわ」「うそつけ」、拒否のメッセージが延々と続く。

再エネ100%なんてあるはずがない。当たり前だよ。次に日本のtwitter記事だ。多分、役所が発注して、コンサルが書いている。こんなものでも多額の税金が支払われている。飯のタネよ。普通に眺めてみると、既に狂気の域に踏み込んでいる。しかし日本では、誰も批判する人がいない。君子危うきに近寄らず。昔の軍国主義みたいなものだ。

何か批判しようものなら、憲兵、公安、地域係が危険人物としてマークする。私なんかボロボロよ。その結果として、各地の自称、反対運動には「Stop wind turbines」の言葉だけは絶対にない。海外なら当たり前に、風力被害に怒り、抗議しているのに、日本には一つもないのだ。いやいや、真逆の運動会、トリックになって風力被害者を取り締まり弾圧する組織として実施されている。

「考える会」とかさ。何を考えるんだろう。思考停止、倫理観の破壊、ポリコレみたいなディストピアよ。あの戦争の時もそうだったけど、日本人は組織的にやられると誰も反抗できなくなる。ヒツジにされるのだ。その例が、インディオであり、アボリジニ、だと思っている。LNGの輸入グラフがあった。他にも石炭や、石油が日常の生活を支えている。

ヨーロッパ発の環境ビジネスは、我々に何をもたらしたんだろうか。電気代が安くなったか。石油の消費が少なくなったか。ウクライナの戦争で、すっかり化けの皮が剥がれたやないか。ドイツ首相の言葉は、メルヘンMärchenだ。関心のある人は検索して詳しく読んでみたらよい。そしてドイツに住んでいる人に、実際はどうなのか聞いて見たらよい。

ドイツ人とは話が合うから錯覚しやすいけれど、よくよく突き詰めると、作り話でしかない現実を見る。ゲーテやヘルマンヘッセの文化とともに、ナチズムの国であることが分かるだろう。久しぶりに、いや初めてかな、あちこちから、お褒めの言葉を頂いた。とくに嬉しくもないけれど、あまりに社会の思考が薄れてきて、齟齬と言うのか、話が合わなくなってきているんだと言う。

一緒にしないでくれ、ということだ。「みんな一緒に」とか言う全体主義への拒否だと思う。結構なことじゃないか。やっと日本人の転落に気付く人が出てきたことに、「遅いよ」と思っている。風力発電の低周波音被害はものすごいで。それを日本の政治や行政は、「精神疾患のもの」として弾圧する。記事にして知らしめる。それを喜ぶ人々がいる。

日本でも、本当の風力発電反対運動を始めようじゃないか。土砂崩れじゃない。いつまでも狂っていないでさ、何が悪くて、何が間違っているのか、見破ろうやないか。真実は一つだ。