暗殺の歴史で見て来たもの

暗殺は世界中にあるから、とくに日本ではどうだ、というつもりはない。アメリカの暗殺は映画にもなっている。『ジャッカル』など、いかにもヨーロッパらしい。それぞれに理由があって、歴史が動いていく。何で現職ではなく、アベなんだろうね。テレビや新聞の情報は真に受けてもいいものだろうか。

自公の大躍進と、あの場面での政治による低周波被害の否定記事。各地の自称、風力反対運動は、初めから低周波被害は言葉にないから、了解済みの仕組みでしかない。各地では、こぞって自公に投票した。風力被害地でもな。由良町なんかその典型だろう。さて、首相暗殺の歴史を見ると、暗澹たる後日が示されている。

歴史の特異点だ。歴史のドキュメンタリーとして今も人気番組になっているから知っている人は多いだろう。例外はない。由良守應は、伊藤博文の護衛をやっていた。伊藤はチビで、守應は大男だったから、守應の陰に隠れるようにして歩く伊藤は、さながら下人の様であったと聞いている。

伊藤が暗殺された時、歴史は大きく動いて、今も竜谷大のロビーには暗殺者の書が掲げられている。私は立場上、とても不思議な気持ちになる。2.26や、5.15事件でも同じようなもんだろう。理想を求めた割には、泥沼の後日が待っている。私は、各政党が低周波被害を否定した、ことの意味がとても悔しい。

日本の政治とは、こんなものでしかなかったのかと悲しいのだ。国連のグレタさんのように、日本でも環境運動家が嬉しそうにはしゃいでいる。受け売りの言葉。オウムになって、同じ言葉を同じ順序で吹聴する。風力被害者をバカにして、オチョクル場面はずいぶんと考え抜かれた計画だ。

たくさんのウソが積み上げられて結晶している。ウクライナの戦争顔負けだ。風力発電は精神を破壊すると書いてきた。今や日本中がその狂気に踊りだす。自公の大躍進、改憲勢力2/3以上だ。何でもできると嬉しそうなことよ。まるでナチスじゃないか。

『サウンドオブミュージック』あのドイツでさえ、実際にこんなドラマがあったと言う。日本にはないな。最後まで、一億玉砕と叫んでいた。我家は違っていたけどな。日本に、「Stop wind turbines !」の言葉がないことはとても残念だ。風力被害者を弾圧するために、各地のエセ反対運動が「土砂崩れが~」と笑っている。

何がそんなに嬉しいんだろう。由良町でも散々見せられたから、彼らのアホらしさがよく分かる。やがて、日本の海岸に巨大な風車が建ち並ぶ。それでも、誰もその意味が分からない。いや、風車病に苦しむ被害者が面白いのだ。問題の大きさを取り違えてはならないと。揺り戻しはまだない。