天誅だ。

安倍元首相を悼む記事が溢れている。暴力反対だと言うのだ。Twitterなどでも、いろんなゴッチャになったご意見を見て、ヘンな感じ、と私は思っている。今日の産経新聞にも、自民党などの再エネ推進の記事が踊っている。今回の参院選が異様な雰囲気を帯びたのは、なにも昨日の事件からではない。

私は、たまたま風力発電の低周波被害を訴えているけれど、他にも水俣だとか福島だとか、被害者が塗炭の苦しみに喘いでいることは周知の事実だ。由良町では低周波被害、風車病に苦しみながら死んでいく被害者たちを目の当たりにした。人々は笑いものにして喜んでいた。それを週刊『金曜日』は、「低周波被害は認めない」と書いた。

環境運動家たちも、こぞって政党の被害否定アンケートを宣伝した。私以外に、誰も風力被害を訴えるものはいなかった。以前、低周波被害者の会の窪田泰氏が、添付資料のように、各地の被害者を訪ねては「何が被害を及ぼしているのか」低周波音分析図を作成して抗議運動を行っていた。

ところが、汐見文隆医師とともに、どこでも迫害されてしまう。風力被害に苦しみながらも、被害者の誰もが政治や行政に抗うことはできなかったのだ。その反面が、汐見先生や窪田さんへの嫌悪に変わっていく。私自身についても、まったく同じ結果を見る。

政治や行政の暴力だ。暴力反対だと、今日の新聞記事には書いている。じゃぁ、被害者を虐待して殺して喜んでいるのは暴力じゃないのか。そのシンボルとしての総理に厳しい判断を与えることだけが暴力として許されないのか。多くの被害者の死は、羽毛のように軽いものなのか。責任がないなんて、そんなご都合主義はないわな。

幕末、大老、井伊直弼が誅されると、徳川幕府は坂道を転がるようにして滅んでいく。昭和になっても、総理大臣が殺されると、時代は一気に次の段階に突き進む。何も理由がなかったのではない。必要な事件だったのだ。今回の参院選は、日本社会の薄っぺらい姿をさらけ出した。こんなアホな人が国の政治をやっているのか、と首をかしげただろう。

自民党政治はもうお終いにしたらよい。新しい枠組みを作って、新しい政治を目指すのだ。もっとまともな人材が必要だ。幕末、維新の時には、玉石混交ながらも、いろんな人が輩出した。おかげで四民平等になったじゃないか。選挙が新しい時代を作り出すことを期待している。