奈落の果てに、人と社会と。

ウクライナの100年、とか言って、これまでのロシアとの歴史を説明する番組や本が出回っている。日本人には遠い世界のことだからね。これがイギリスやフランスの事なら、小説や映画などで散々に余計な知識が溢れている。一時、我々もヨーロッパ旅行に押し掛けたじゃないか。

大量虐殺ジェノサイドは、なにもドイツのナチスだけじゃない。アメリカだって原爆や焼夷弾でどれだけの残虐な戦争を押し通したことか。彼らは反省したか? そんな話は聞いたことがない。むしろ徹底的にやってやりゃよかったんだと嘯いている。

直接その言葉を聞くと、頭の中が真っ白になる。ウクライナ戦争では誰も責任は取らないだろう。たくさんな企みがこの戦争には隠されている。あの太平洋戦争だって、75年経って、やっと本当はね、とか言って資料が公開されている。

あるいは振武寮のように、知ってはいても判断できなかった、それが許されなかった歴史を我々は見ている。添付記事を見ると、人間社会はどうも同じ事件を繰り返すようだ。「失敗の本質」と題した本まである。

あの戦争の時、日本は、そして日本軍は、同じ間違いを繰り返して、それに気づくことは全くなかった。原爆さえ秘密にしていた。今に至るまで差別の対象よ。ここまで書いて、安倍元首相の襲撃のニュースが入ってきた。

これまで総理大臣が襲われた事件はいくつかあって、それだけ憎しみの対象にされるんだろう。先日の記事でも、自民党は風力発電の低周波被害を否定したから、さぞや憎悪をたぎらせた人もいたことだろう。

だからこそ情報誌の記事にしたし、選挙にかまけて、環境運動家がさらに被害者の心を掻きむしる各党のアンケート結果をさらしたのだ。被害者が苦しみながら死んでいくのが面白いんやね。前ページにもそんな日本人の心の闇を書きつけた。

ハッキリ言おう。安倍元総理への襲撃は日本社会に必要な出来事だったのだ。今回の参院選は、あまりに異常だと思っている。日本語が言葉の意味を無くしてしまっている。由良町の風力発電21基の前を街宣車が、「皆様の命を守ります」と叫びながら走り去る。

同じことは福島でも水俣でも、当然のように繰り返される。もうこんな政治はイランで、と思うのは私一人ではあるまい。それが安倍襲撃になったと思っている。警察や検察の暴言を聞きながら、私が思った正直な答えだ。被害者の死をあざ笑うな。

政治や行政は、原点に戻るしかない。日本人の言葉を取り戻そう。弾圧の仕組みを止めようやないか。