被害を訴えられない日本人の転落

由良町では今、田植えの真っ最中です。私が百姓を始めた20年前と比べて随分と風景が変わりました。住宅が増えて、百姓は肩身が狭いかな。なんせ泥だらけになって、田んぼ仕事するでしょ。トラクターや田植え機で、道路に土を落とすでしょ。信じられん奴らよ、とアホにされたことは何度もある。サラリーマンさんたちには迷惑でしかないのだ。

百姓は大体が貧しいから無理もないわな。汚い人たち、というわけだ。今、コメの値段は1俵60㎏で1万円でしょ。その昔、1.8万円だったから、物価の値上がりを考えてみると、ほとんど採算性はない。土地としての田んぼの値段も下がった。日高町での相場は、1坪5千円程度と聞く。道理で埋め立て、宅地にされて分譲されて、安物のマイホームが林立するはずよ。

中身も同じ顔のない住人達。何をしているのか誰も知らない。私は村八分だからなおさらやね。隣の田んぼの百姓と話した。脳梗塞になって百姓仕事に支障が出ている人がいる。それを見て笑っている。風力被害、と言葉にするといきなり激高されるので、今はもう何も言わない。ただ彼らは可笑しくてしょうがないらしい。ご自分が病気になっても、私に怒りを見せて否定する。

「関係ない」と。受け売りの言葉。同じ言葉を、同じ順序で話すロボットのような操り人形。『風力発電の被害』に書いたように、自己欺瞞、自己正当化、自己陶酔、最近は意味の分からない自慢話を聞かされる。人としての尊厳はないのか、と内心思っても黙っている。これが被害地域の人々の有様だ。いくら話しても無駄。添付資料にはインドとブラジルの風力反対運動を載せた。

ワイルドな人たちだけれど、被害を受けたら正直に抗議する。アメリカやヨーロッパと同じことだ。その国、それらの地域に応じた、風力発電の被害を言葉にしている。これが人として当たり前の反応なのだ。いや、これこそが人間存在の根拠だと思う。由良町で見られるように、伊豆や伊方、各地の風力被害に見られるように、「関係ない」、「土砂崩れが心配だ」なんて、それは何を意味するのか、普通は分からなければならない基本だろう。

前ページに書いたように、ジャーナリスト、環境運動家のアホらしさよ。こんな提灯持ちが日本の世論を固定しているのか。世界の状況を見て、何が悪くて、何をすることが間違っているかなんて初めから分かっているではないか。ところが、誰一人として被害を訴えないのだ。金儲け、保身、操り人形、いろいろ理由があるようだ。新聞やテレビ、雑誌の端まで、日本の情報管理は完璧やね。

私は早く『風力発電の被害Ⅱ』を書かねばと思っている。こんなにも駆け足で進化する被害もない。新しい風力被害者が次々と出来ているだろう。アレッ、と思っている人は多いと感じている。それでも絶対に私に被害の苦しさを言葉にすることはない。なんと我慢強い人たちよ、と谷口さんも笑っていた。水俣でも福島でも、同じ話を聞いている。

これが日本人の姿なのだ。そりゃ、アホにされるわな。私は違うからね。一人、なんと貴重な天然記念物になったものよ。各地のエセ風力反対運動のカラクリを暴き、行政や政治の悪意を書いた。被害地域の人々、都会の人たちの無関心というか、希薄な人間性を書いた。透明人間のようやないか。今更のように三島由紀夫の最後を思い出している。最近、いい小説がないね。