ニュースから風力発電が消えている。

昨日に続いて、産経記事が面白い。もはやスカスカの記事だね。それは違うだろう、と気が付く人もいるだろう。昨日のことに、「午後になって天気が回復してきました。発令が解除されます」と太陽パネルが役に立っていることを喜びの声にして伝えていた。

しかしどのメディアも風力発電には触れない。なぜなんだろうと思っていたら支援者からメールが来た。NHKで風力推進を解説していた、というのだ。やっぱりな。地球温暖化と言い、再エネといい、NHKは相当悪い。サブリミナル効果で、瞬時の風景として、風力発電の回っている景色を流している。

絶対に低周波被害、風車病の言葉はない。風力事業の手先なのだ。被害者にとっては辛い瞬間よな。逆にNHKでは太陽光パネルで山々を覆われた風景は伝えない。情報操作だよ。こんなインチキな放送もないわな。受信料なんか払えるかいな。記事の左下にある「取り組み」を見て笑えないか。

この程度なんやで。こんな簡単なプロパガンダで人々は踊らされている。直接目に見えないとさ、関心を持てないのだ。言われるままよ。それは幻想でしかない。考えてもみよ。風なんていつ吹くか分からないし、いつ止まるかも予測はできない。まさに天気次第だよ。電気不足になったら運よく風が吹くのか。

今日の御坊市の天気を見ると、この程度の風しかない。風力発電の所だけ風が吹いているのか。そんなことあるはずがない。山の上の蜜柑畑で仕事をしていたら、こんなこと当たり前だ。それでも日本の人々は、ほとんどが風力発電が電気を起こしていると信じている。風もないのに風車が回っている。

それを不思議とも何とも思わなくなっている。まるで集団催眠術だ。誰もおかしい、とは思わなくなっている。思考停止、というより、思考の支配やね。由良町では、これまで風力発電の低周波被害でたくさんの被害者が苦しみながら死んでいった事実を見てきた。

そして人々がそれらの人が死ぬ度に喜びの笑顔を見せるように社会の雰囲気が変わっていたことを書いた。地元新聞の記事のセイだけではない。地域対策として、いや、人々の持つ、もともとの信条として、人が苦しみながら死ぬのが面白かったのだ。私を弾圧することが面白かったのだ。

社会の一員としてな。体制側にある安心感、帰属意識よ。例えそれが親であれ家族であってもな。だから伊豆や伊方、下津町などで、家族総出で自宅を捨てて引っ越して行った被害者を見ると、よくぞ決断したと、その選択肢がまぶしく見えるのだ。それはニーナビアポントの本にも同じことが書いてある。

子供のことが心配で引っ越しました、と。よかったら風力発電の低周波被害を訴えないか。被害者に対する弾圧は野蛮としか言えないではないか。それを面白がる日本人とは何者なのか。もしかしたら単に催眠術で踊らされているだけかもしれんのやで。

前ページにはそれを書いた。真実を見透かそう。疑問を持って、これらの記事を再度見てみようやないか。