低周波被害よりも深刻な被害が見えないか。

映画MINAMATAが公開されて、水俣病のことがどんな話題になるのかと思っていた。全然やね。水俣の人にも聞いてみたけど日本人には分からない。ユージンスミスが私とダブって見える。映画がよくできているのか、私がそれを求めているのか、挫けそうになりながらも自分を信じて生きる姿に励まされる。

私にはアイリーンがいないので、それが羨ましい。いま、なんで「MINAMATA」か、と思うだろうが、あれを見れば何が問題なのか、一番大事なのか分かるだろう。実際に水俣市を見れば、もっと現実が分かって驚くだろうけどな。それは風力発電の被害と全く同じものだ。

前ページには、谷口さんら被害者が苦しみながら亡くなって可哀そうだね、という人が誰もいない、と書いた。各地に出かけて行っては風力被害の悲惨なことを話しているから、たくさんの人が知っているはずなのだ。それでもそれらの人は「土砂崩れが~」と言葉のすり替えをして笑っている。

ピエロにされたんやね。猿回しのサルとかね。なぜ誰も、「それは違うだろう」と声を上げないのか。それが私の訴えでもあった。風力裁判では、地域の人々は大喜びだった。もちろん被害者たちも嬉しくてならない。これが風力被害でなくてなんと言うのか。完成形だよ。

被害なんて、被害者なんて、ppmだ。無いのと同じなんだよ、という。その割には彼らの喜びようよ。感情を揺さぶるだけの衝動があるんでしょ。谷口さんらの泣き叫ぶ姿を見たんでしょ。それが面白いから笑うのだ。人道的にという。

人が、人に対して、なんでそのような酷いことができるのか、それがMINAMATAであり、風力問題の核心であった。どうやら日本の精神風土になっている。それがアメリカ人から見ると、映画のテーマになるほどの公害の本質であった。それでも日本人には何のことやら分からない。

世界的に、これからアホにされるやろな。「私は違うからね」今からそう繰り返す予定の言葉を探している。私もピカピカの日本人なんやけどな。不思議な感覚でいるのだ。何が違うのか、誰か教えてくれないか。