日本でも風力発電に反対しよう。被害に抗議しよう。

先日、軽トラのラジオでMINAMATA映画の会話が流れていた。御用学者らしく、水俣病について書きたいようなヘンな論理が気になった。当時は日本中どこにでも水俣病があった、とかね。由良町は徳島の目の前なので四国放送がよく入るのだ。以前も、徳島に巨大な風車が立ち並ぶ様子を嬉々として話題にしていた。どうも御用聞きが目的らしい。聞いていて不快になる。

同じことはNHKにもあって、せっせと地球温暖化の危機、だとか、CO₂原因を否定する人たちの背景、とか、再エネ、環境ビジネスの宣伝としか思えない番組が放送されている。それが実によく出来ているのだ。国連やハリウッドスターを起用しているから、よっぽどカネがあるんだろう。ここに添付した反対運動や風車病、被害者のことなど全然触れないのだ。

これってプロパガンダ作戦、情報のコントロールだ。残念ながら日本にはこんな反対運動や抗議活動はどこにもない。いや、上手く風力計画を拒否した地域はあるんだが、手堅く固めてしまって、その経緯や情報が公になることはない。これも政府や業界との取引の内だろう。逆に、由良町などのように徹底的な被害者の弾圧を見ると、「風力発電の被害」が実に鮮やかに露出してしまう。

自然保護団体などの環境運動家が、いかに雇われの、被害者を黙らせるための仕掛けであったことか。私がたまたま建設コンサルタントを経験していたので、そのカラクリはすぐに分かったものよ。環境アセスメントの世界よ。野鳥の会は行政の傘下、業界の手先でしかない。アセスは事業をスムーズに進めるための手続きでしかないのに、「アセスをしっかりやってください」なんて吹聴する彼らは噴飯ものだった。

それを書いているのが彼らだからさ。『水俣病は終わっていない』と原田正純氏は書いた。今も水俣裁判は続いている。国や行政、政治の暗黒がある。福島原発も同じだ。被害者だけがワリを食っている。それがアメリカ人には奇怪だ、というのだ。私も同じ思いでいるけど、日本人たちはそうではないらしい。風力裁判でも私は人々の笑いものよ。なんで日本人は、添付記事のように抵抗できないのだろう。

被害者を弾圧して笑いものにして消し去ることで、喜び団結してしまうんだろうか。昔からある人柱、生贄みたいなものか。10年前、初めてジャーナリストたちが我が家に来た時も、「ヒツジにされるんやで、社会が破壊される」と言っていた。東伊豆町、南伊豆町、伊方町などの先進被害地を見ての正直な実感だったようだ。h19年に取りまとめた伊豆の被害報告書は、全国に発信された。

それなのに彼らは今、跡形もなく消し去られている。h23年の環境省の報告書には、その結論として「被害を訴えるものは精神疾患のもの」とまで明記されるのだ。本当にこれでよいのか。よいはずはないわな。政治は機能しない。自称、反対運動でさえ、被害を否定する環境運動家たちのエセとなり果てている。それでも私は思うのだ。

腐敗した社会組織に立ち向かうために、常に草莽崛起、革命を行ってきたやないか、と。吉田松陰まで届かないけれど、風力発電やメガソーラーといった虚構の悪行に反対しようじゃないか。ドイツの人々が何で反対し、なぜ怒りをぶちまけているのか、それは日本でも同じことであるのは見て真通りだ。政治は役に立たない。だったら気が付いた人から抗議を始めるほかないだろう。