現場には伊豆山神社が祭られていた。

前ページには、この地域は火山灰に覆われた土壌だと書いた。普通の土ではなく「灰」なのだ。だから土木工事になると、埃対策に水を撒いたり、シートで覆ったりと、余計な手間が必要になる。もともと地山の強度が弱いから、絶えず法面の保護には気を配る。関東の土木工事では当たり前の風景だ。記事によると事故現場には伊豆山神社が祭られているという。

昔の人は、ちゃんと知らせてくれていたのだ。というより、地域で生きていくための情報交換の場として、神を祭ることに意味を示していた。同じことは、私の住む由良町の周辺にもあって、海岸近くには、あちこちに八幡さんが祭ってある。津波の時に、ここまで逃げてきた人が集まった記憶だよ。それぞれの土地によって海岸からの距離が違う。

広八幡さんなんか海から1㎞も離れているだろう。少し高台にある。それでも近くまで津波が押し寄せたことは、s12年生まれの母親が見ている。ところが戦後生まれの連中になると、もうそんな記憶は何もなくって、埋め立て地の新しい住宅地に住むようになっている。「稲村の火」として有名な町でもこうなのだ。由良の八幡さんなんか、もっと大変よ。

港町だから、人は適当に逃げるだろうけど。故きを温ねて新しきを知る。これしかないわな。神社には、それぞれに重い意味がある。この神社にも、それらの社にも、人々を襲った悲惨な災害を見てきた伝承があるだろう。最近は、さらに人災という災難が被害を大きくする。津波が来るのに、校庭に生徒を集めて点呼、お話を繰り返したり、逃げた生徒を連れ戻したり、とかさ。

人は、その時異常な行動をする。神社を取り払って、巨大な風力発電を建設したところもありましたなぁ。終わってるよ。伊豆は、h19年に汐見文隆医師、窪田泰さんが風力発電の被害を調査した。コテンパンに叩き出されたと聞く。その後も太陽パネルを並べて、再エネ王国だと言っている。水田がないことは貧しさの象徴だけれど、それが社会風土となり、今回の事故に続いていると思うのだ。

人は、カネのためなら何でもするし、責任感も何もない。風力や、太陽光は、社会を破壊した、というべきなのだ。由良町の風力被害の顛末もスゴイだろ。人々は大喜びだよ。私は今も人々に叫ばれ倒されている。「風力被害なんか、何もないんや ! 」とさ。「ウソつくな ! 」とさ。伊豆でも同じなんやで。