初めから結論はある。答えを見ながらの抗議を続けてきた。日本人だけ、何故や❓ と問い続ける。風力発電被害に関わると、これまでの公害論が見渡せる。s57年、私は新潟県長岡市でのんびりと学生生活を楽しんでいた。56豪雪と言って、三階から出入りできるほど大雪が降っていた。一晩に2mもベタ雪が降るから、車の天井が押しつぶされる。夜中に愛車スプリンターの雪かきをしたもんだよ。
図書館の新聞には水俣病の騒ぎが踊っていた。奇妙な書き方だと思ったよ。たまたまその地域の学生がいたので聞いて見る。それが始まりだ。低周波被害の報道も、ちょうど橋梁設計が必修だったから、何のことかと記憶に引っかかっていた。橋梁メーカーの人がいて、橋からは低周波なんか出ていない、とか。私には意味が分からなかった。後日、その低周波測定をした小林芳正先生から直接、話を伺った。
夢のようなドラマをお聞きしたよ。測ったら分かる。こんな当たり前な物理現象が日本では否定される。香芝高架橋の低周波訴訟は奇跡だった。水俣の原田正純や日吉フミコもな。そういう時代だったんだろうね。風力被害に関わるようになって、それらの何気ない体験が、こんなに人生を賑わすことになろうとは、日本は何も変わっていないのだった。水俣は今も裁判が続いている。風土病やな。
その気配、やり方が風車病にダブっていた。被害者差別の厳しさよ。冷酷な仕打ちに、たまらんな、と笑うしかない。被害者の苦しみや死が面白いのだ。知らないのでも、分からないのでもない、人の不幸が面白い。悪口を囁き合う。あの人悪いらしいで、キャー、と言って笑いあう。トテモ平和な風景として人々の楽しみになっている。人が泣き叫んで苦しんでいる。手を叩いて笑ってやる。そうして死んだ人たちを見た。
昔、ナチスドイツではユダヤ人狩りがあって、人々の前で殺戮が行われたんでしょ。公開処刑とか。ドイツ人は「私たちは知らなかったんです」と言っている。国際社会ではそんなことないから、理解した上で言い訳を聞いている。ホロコースト、ジェノサイド、といった言葉が流通した。他の国でも同じような出来事があったからね。日本でも原爆や空襲でたくさん死んだんでしょ。その写真を見たらゾッとするわな。
同じように水俣病でたくさん死んだ。富山県のイタイイタイ病とか。すごかったやないか。共通するのは被害者に対する蔑視、嫌悪だ。日本独特な感情かな。穢れ、というか。由良町でもな、それは物凄かったで。いやいや、今もな、私なんかアホにされっぱなしさ。低周波音の被害で・なんて言おうものなら、【ウソつくなっ】と叫ばれる。人々は大喜びさ。こんな人やったんや、とその人の正体を見る。
悪意は、その人独自なマインドだ。憎しみを爆発させて喜んでいた。風車の麓の被害地でもな、それは変わらない。ご自分も被害環境にありながら、人々の苦しみが面白くてならない。ワッハッハッ、と笑っている。この人は鬼かと思ったよ。どこまでも悪意しかない。そんな人でなしが目立つ。とても嬉しそうだよ。中には被害者で苦しんでいる人もいる、それが他人の被害が面白い。奴隷、囚人みたいなものよ。
社会性とか、人間の有様とか、正義感とかはもう消えている。誰かが怒って【止めろ】と言ってもいいんだけどな。奴隷根性が浸み込んでいた。私とは別種のものだ。被害を訴えたらエライことになるから。原田正純や日吉フミコの人生は大変だったんでしょ。嫌がらせや圧力に悩まされたという。畑地区の谷口愛子さんも嫌がらせに泣いていた。電話で話を聞く、受話器を置いたらまたかかってくる。
そんな事を繰り返した。最後の日も、夜の八時頃にそんなことがあった。h23年の11月末に被害の電話があって、こんな悲惨な会話が続いた。由良町の人たちは知っていてタブーにして笑っている。関係ない、とな。水俣と同じ精神性やな。言うたらアカン。ほっとけ、相手にするな。せせら笑いだけがある。他の風力地域でもそうでしょ。そこに「考える会」だの「お花畑」が浸透する。日本の環境運動も落ちたもんだよ。
「あの人たちは何者で、いったい何を目的にしているのか。その事を知ることが先決でしょう」と言われていた。土砂崩れが心配です、という。もはやバレバレなのに、その悪意をバラスものはない。結局は住民の意識次第なのだ。人の悪口を言いあって楽しむ。風力被害とは、そんな笑いに収斂する。海外の世界常識とはなんとかけ離れた人の有様か。素朴なんじゃない、下劣な国民性に貶められている。
添付の海外の反対運動の人たちを見ろ。あざ笑いする日本人と比べようもない。輝いているやないか。その価値観が分からんか。後進国、転落した思考しかないアホぶりが分からんか。