風力発電の幻想を批判せよ。

風力発電の被害に遭って苦しんでいる。由良町ではトンデモナイ被害を見ながら、誰一人として抗議する者はいない。支配される、とはこういう状態を言うんだろう。嫌がらせ、弾圧に泣いた人もいた。とうに死んでいるし、まだ生きていたとしてもこれ以上の圧力には耐えられないか。コロッ、と手のひら返しの「被害否定」の言葉を発する。これも東伊豆町などで聞いた言葉と同じモノだ。

ウソつきばかりだよ、と言われている。そんなモノに関わったらエライ目に遭う。ターゲットにされて人物破壊の標本だよ。悪口だけじゃない。プロの人間破壊を見る。ロボットの様になるらしい。自宅を捨てて逃げ出した人がいるんでしょ。叩き出されたんやね。地域の笑いモノとして。役場が深く関わっている。環境運動家たちもな。セットになった工作員よ。風力業者の悪いこと。

全国で同じ事やっているから要領よく排除されてしまう。役場は風力の代理人になっている。被害者の事を分かる人もいるだろうに、結果として誰も風力被害を言葉にすることがなかった。なぜや❓ 由良町は風力発電被害の特殊な町になっているけど、全国で同じ有様でしょ。なぜ誰も抵抗することがないんやろ。世界中で風力反対、抗議デモが行われている。なぜそれが日本にだけないのか、面白い社会現象よな。

現実は真逆の有様で、アホよら、アホよら、と手を叩いて喜んでいるのだ。心理操作だけで、こんなに人が狂うか。そういう町、こんな人々だからこそ風力発電が出来て喜んでいるんだろう。風車病に苦しみ死んでいる人でも、恍惚としたように涙を流していた。断末魔を見た。ワシらは面白うてならんのや、という。こんな社会ですわ。もはや出来上がった風力被害に、何を言おうと、どんなことが起ころうと変更はない。

頭をやられているのは被害者だけじゃない。遠くに風車群を眺める人たちでさえ、笑って喜んでいる。ザマァ、とせせら笑う。民主主義社会とはなんと素晴らしいシステムか。アメリカやヨーロッパでやっている風力反対は、民主主義じゃないのか。日本のが平和な民主主義なのか。その違いを比較したら、日本人の風土、特性が炙り出されてくる。人の不幸が面白いのだ。

被害者でさえ、隣近所の被害者が狂いだすと喜んでいる。風力の被害など聞いたこともない、という。昔から聞く差別言葉が意味があったのだ。ほっとけ。相手になったらアカン。具体的に社会にそれを見せられると、なるほどな、と思うのだ。風力裁判ではエライ目に遭ったから余計に差別心が核心になる。人々はそれが面白いんだろうかね。低周波被害は広い範囲に及んでいる。

初めは風車から2㎞ぐらいだろうと思っていたけど、3㎞でも被害者がいる。いや、4㎞離れていても、風車独特な低周波音は変わらないから、たぶん被害者はいるだろう。本人が気が付かないだけで、体調不良とか、気分的な憂鬱とか、症状はあると見ている。風車を直接見ないから。それよりもタブーなのだ。真実は触れてはならないイヌの糞よ。匂い立つ毒気に、嫌悪とか敵視とか、被害者に向けるようになっている。

洗脳やな。ドイツのユダヤ人狩り、ホロコーストと同じ心理だ。悪気はないんだよ。知らなかったんです、ってか。あるいは水俣病の差別みたいなもんだね。人間失格の烙印を押される。由良町では当初からそんな囁きが伝えられていた。私も地域の人からそんな情報を聞かされたもんさ。一般の人の方が幅広く詳しい被害情報を持っていた。告げ口する、世間話に花が咲く。今は私の悪口でいっぱいだ。

人の悪口ほど面白いものはないからね。田舎者も都会人もない。閉された空間に、作り話の花が咲く。みんな楽しんでいるのだ。これじゃ、風力反対なんかならんわ。次の風力計画が待ち遠しい。土砂崩れが心配です、と言っている。これだけの低周波被害を見ながら、その心理トリックに気が付かないとはな。人々には意思も思考も無いのだった。健康被害、何が悪いのかも分からない。想像力すらない。

凋落した社会を見る。もう転落しかないんかい。幻想とか、妄想とか、現実感が奪われている。「社会が破壊されるんやで」と言われたとおりだ。だが、そんな言葉も受け止める人がいない。これまでとは違う、何か得体のしれない社会やないか。

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