低周波被害に苦しみ死んでいったバカな奴、最初のh18年の東伊豆町でさえ、何が悪いのか誰でも知っていた。ちょうど水俣市で水銀中毒の公害があった時も、工場排水が原因で、魚や貝を食べたらアカン、なんてことはみんな知っていた。食中毒事件だった。それをウィルスだの、米軍の爆弾だのと、言葉をすり替えて知らん顔、いやいや、被害者を差別して弾圧した。社会政策として、水銀被害を否定した。
だから今も世界中で水俣病と言われてハリウッド映画にまでなっている。ジャニーデップの映画『MINAMATA』を見たかい。水俣市は当然のように拒否したという。日本人も、何のことやらさっぱり分からない。何が悪いん❓みたいな感じか。たくさんの本になっているから、原田正純とか日吉フミコの本を読んだらいいで。これ、由良町の事や、と私は思ったよ。全国有数の被害地になっていた。
それほどに過酷な、ドラマチックになった悲劇を見ることになる。たまたま、畑地区の谷口愛子さんが新聞に投稿したり、各地の風力関係者に助けを求めた。共産党を呼んできたりな、これはアカンやろ。結局それで潰されてしまう。自民党はもっと悪かったけどな。私とは一瞬のすれ違いだった気がする。最後の時まで電話してくるくらいだから、常に気にかけていたんだろうがね、私は酷い言葉を浴びせかけられて、閉口するしかなかったんだよ。
風力発電は頭をやられるからね、他の被害者と同様に、大変な苦しみに狂っていたことは分かっていた。それを役場はオチョクリ回す。なんと周囲のお友達は全員が裏切っていた。谷口さんはh24年に東伊豆町に友人二人と視察に行った。私には秘密だった。彼らを信じていた割には、結果を私は見ている。もしかしたら、谷口さんも傍観者的な、別の目的を抱いていたのかもしれない。
それからしばらく由良を離れて、h27年にまた帰ってくる。もしその時帰ってこなければ、まだ生きていたかもしれないね。家庭の事情もあったと聞いている。【社会が破壊されるんやで】と言われていた。初めから壊れていたよ。住民たちもな。何が起こっているのか、誰でも知っていた。添付の記事は、一発目の議会報道だ。写真のように1対9、全員が私を除名処分と言った。皆さんとても喜んでいたよ。
ここまでには既に異常な叫び声を浴びていた。アホよら、アホよら、と言って笑いものにする。本当にうれしかったみたいやで。こんなモノに、何言ってもアカンやろ、と思っていたけど、次々と被害者が死んでいく。泣いて頼まれた。「何でもする。助けてくれ」、そう言って死んだ。何度か農協の選果場で、隣り合って軽トラから蜜柑のコンテナを下ろしながら話したことがあった。年取ると20㎏のコンテナが重い。
それを力自慢は、3つ重ねて下ろしている。私はまだ真似したことがない。百姓同士のコミュニケーションだ。私だってお盆の火祭りで200kgの大たいまつを担いで釜回りをした。もう随分と昔のことになる。私が子供の頃、60年前は80貫、300㎏あったという。そんな過激な行事も今はない。稀薄、というより「関係ない」という。我家の悪い癖で家柄意識が突き抜ける。百姓の人とは違う。そう言われてきた。
それでも2haの田畑を耕していれば。立派な百姓なんだがね。どうも違うらしい。私には、海外の風力反対を見るまでもなく確信がある。それは水俣で水銀被害を訴えた人たちと同じ精神だと思っている。45年前、大学生だった時、水俣病と、低周波公害訴訟をやっていた。和歌山の日高町では原発運動会よ。それと、拉致被害者が全国に有って、不安な国際情勢があった。s57年、どれも飛び切りの事件で、今もそのまんまよ。
悪党が誰だか、見たんでしょ。日本には特殊な環境運動家、お花畑があって、いろんな話に薄められていく。真実は常にあるのに、作り話の方が面白いんやね。私の悪口とか。人を貶めて喜んでいる。谷口さんが亡くなった時の喜びようよ。恥ずかしさよりも、ワァー、と逃げたよ。これが議会や役場の姿だった。民主主義というかい。私はしょせん絹のハンカチよ。もうごめんだね。たくさんのキャッチフレーズを聞いてきた。
インターネットで検索すると、「風力発電被害」、「風力発電反対」とか、キーワードとは別な、コマーシャルで覆われている。「由良守生」で検索してもそうなっている。風車の写真ばっかりや。汚い学者の宣伝とかな。環境運動家と共に、そんな卑しいニュースで溢れている。残念ながら、本当に風力被害を訴えるのは私一人になっていた。ドイツ語やフランス語で検索すると、まだ本当の「protest wind farm」なんてパネルを見る。
「Kein windpark」とかな。それに比べて日本のはいけませんな。日本人には何のことか分からないらしい。いくら話したところで、手のひら返しが待っている。その時に判断する、だって。死んでしまえ。私はよくそんな言葉を飲み込んできた。そのレベルの話でしかなかったんだよ。風力計画が出た段階で、その社会はもう転落していた。由良町でも、h20年の地元新聞に「土砂災害が心配です」と書いてある。
全国で低周波被害、風車病が明らかになっている時にだよ。今も全く変わらないがね。風力の呪いが、君に分かるか。何も知らないのが、幸せかもな。