添付資料には、風力被害を否定する行政の悪を載せてみた。これまでに何度となくこのページで訴えて来たものだ。h24年の当初は、まだ何のことかも分からずに、ジャーナリストやエセ環境運動家の言葉にうろたえて居たかな。youtube動画にもその時の会話があって、結構、皆さん分かっていたのだ。そういった先達に教えられながら、協定書、環境省の報告書、低周波音の測定を並べてみた。
畑地区の谷口愛子さん宅で測定した報告書には、「国道を走る車の音」と結論されている。下津町大窪地区では、こんな測定業務を9回も行って、被害者を弾圧して苛め抜いた。泣き叫んでいたで。環境課の職員らはせせら笑っていた。これが公務員の仕事か。似たような奴に、環境課のトップに君臨するボスが、風力被害地に住みながら「風力の被害など聞いたこともない」と私に言った。そんなはずないやろ、と言おうとして言葉が詰まった。
深い谷底を見るような、飛び越えることのできない断絶がある。何度か酒を飲んで話したこともあるのに、これはスゴイな、と感心する。由良町の協定書では、低周波被害があるから、こんな文になる。東伊豆町の風力被害はh18年、隣町の広川町にも有名な風力被害が知られていた。ところが広川町に電話したら、低周波も被害もないんやて。母の実家が広川町のミカン農家でね、従兄弟たちに聞いてみたら、まったく無視よ。言葉がない。案山子かい。
汐見文隆医師の『左脳受容説』(h19年)にこの辺の経緯が書いてある。何軒かの百姓に聞いてみたけど怒られたよ。公園整備されていた広川風力は、今は土捨て場とか、廃墟になっている。キャンプ場施設の哀れなことよ。ウソつきゴンボの残骸を見る。これが彼らの正体やで。由良町の風力被害は悲惨を極めた。役場や人々の弾圧に、「いったい何が起こったんや」と驚くしかなかった。「考える会」という心理トリックよ。今では「風力」の「フ」の字もない。
被害など聞いたこともないんだって。いかに彼らが工作員、手先として被害者らを黙らせたことか。「私たちは畑地区の人と一緒に頑張っていく。由良さんは門前地区で一人でやればよい」と言って追放されていた。門前地区でも悪党たちが待ち構えていた。もともと悪いと聞いていたからね、やっぱりそうか、と確認したよ。聞いていたけど、実際に体験すると、悪党は悪でしかない。善悪とか、正邪ではなく、犯罪に心躍らすんだろう。
差別の厳しい町だから、蔑視、人を貶める、なんて楽しみが倒錯する。「あの人悪いらしいで」と風力被害者を特定して喜ぶ。畑地区などキャーだよ。その上で、私への憎しみを募らせる。上手くまとめ上げたと思うよ。生贄があると、こうまで人は団結する。和歌山城の人柱は有名でしょ。人心を統括するには、代償がいる。人々は「ウソつくな」と云うんやで。私は由良町の被害は特殊な出来事だと思っているけど、全国的には、じつはどこでも同じ地域対策で被害者が消されている。
とくに私が旧家のボンだから、というのではなさそうだ。広川町でも下津町でも、平凡な百姓が塗炭の苦しみに泣いていた。それが面白いと人は言う。なんということだ。海外の風力反対とは、この点で正反対な局面を見せる。「Stop wind turbines !」日本人にはない言葉だ。こんな感性は日本人にはない。日本では、いかにペテンのエセ反対に置き換えられていることか。単に心理操作されているんじゃない。
日本人自身の心の中に、「人の不幸が面白い」と、こみ上げてくる喜びがある。被害者でさえ、泣いて笑って死んでいく。報告書の通り精神疾患だよ。ヘンな人だね。これが人々の楽しみ、レジャー感覚になっていた。デストピアよ。東北や北海道の、風力発電群が林立する地域でも、エセ反対の悲喜劇は顕著になる。風力に反対しているのかと思ったら、御用学者を担いで喜んでいる。学者先生の言葉が分からないのか。いや、それが目的だったんやで。
そんな奴が和歌山に来てまで同じ勉強会をやっている。【土砂崩れが心配です】と云うんだから、参加者の喜びようはない。この魔法は何だろうね。由良町でも広川町でも下津町でも、低周波音の被害は明らかにされている。環境運動家たちは学者を担いで「専門家が言うてるんや」と豪語する。「オマエだけや」と私をアホにして喜ぶことよ。あーぁ、こんなんばっかしよ。私一人でも、この奇妙な社会運動は拒否するからね。一緒にしないでくれ。
たくさんの風力被害者が苦しみ狂い死んでいった。みんなヘンな奴ばかりだったよ。中には本当に助けてほしいと依頼した人もいた。すぐに死んだけどな。大体はアホな連中だったと思う。まだその生き残りがいるけど、もう人じゃない。秋田や山形の風車群の中で暮らす人も、同じ事でしょ。嬉しいんだよ。人造人間、変種が出来ている。





