自然エネルギーを超越した幻想

各地で太陽パネルを敷き詰めたメガソーラーの被害が流行っている。開発の規模が大きいからね、阿蘇の草原とか、釧路湿原とか、景色が台無しになっている。風力発電でもさ、海岸や、山々に無数に林立してみなよ、景観だけじゃない、我々の歴史・文化までも破壊されていると感じるで。とくに騒音、低周波音、近くでは、バサッ、バサッ、と巨大なブレードが回っている。初めから地域対策の罠が仕組まれていた。

「考える会」や自然保護団体の執拗な破壊工作はどうだ。結果を見れば、被害者にとっては目も当てられない有様になっている。全国の風力地域でそうでしょ。誰も反対できなかったんかい。被害者が苦しみ始める、そしたら「風車を止めろ」と言えないのかい。なんで「土砂災害が心配なんや」、なぜ「ドイツでは上手く行っている」と言うんや。心理コントロール、洗脳、呪いの言葉ばかりやないか。

海外では、チャンと地域の人々が風力被害に抗議しているで。日本人になぜそれが出来ないのかと、それが可笑しいと訴えて来た。風力の仕掛けだから、確立した支配体系がある。それでも人間として、誰でも道徳心や倫理観はある。良心に従って善悪を判断するんと違うんかい。なぜこれほど画一的に風力被害者を弾圧して喜んでいるのか。いくら話しかけても怒っても、誰も聞いてもくれなかったがね。

添付写真のように、由良町は細長い谷あいの町だ。人口は5千人、最近はめっきり人の出入りが少なくなっている。誰でも風力被害の実態は分かっているんだよ。何も聞こえない、なんてウソ。笑いものにして喜んでいる。とくに低周波被害の酷い畑地区でもな、「誰も被害があるなんて言っていない」という。もう堂々としたものさ。役場に電話した人もいるだろう。東伊豆町でも伊方町でも同じ答えが返ってくる。

受付の、担当の役人も覚悟を決めている。だって、何もかも知った上でのセリフだから。問い合わせの電話に応えるたびに幸福感に満たされる。被害など認めるか、とな。権力の手先となって君臨する喜びよ。悪魔的な高揚感かな。県の環境課でも、環境省でも、大体は同じ態度を見せられる。お門違い。オマエが間違っているんだとさ。「アンタだけですよ」と言われるのがオチだ。へーえ、私だけが低周波被害を言ってるんだ。

ここで、初めから指摘されているトリックがある。海外に知見はない、と言う。あたかも心配する風を装ったスパイ工作員がすべてを取り仕切る。原発計画の時のコウモリとか、ネズミ男みたいなやつ。由良町周辺では50年前の原発計画の再来か、と思ったよ。今でも気持ちの悪い関連施設の誘致が囁かれる。自然エネルギーならいいじゃないか、とか。あの時の原発反対の闘士たちは跡形もなく消えていた。

ヘンなのばかりが目立つ。そんな昔話を当時の人から聞いていた。駆け引きばかりなんやて。何でもいいのや。これでよく原発が出来なかったものだよ。3か所も原発計画があったからね。昔も恐ろしい時代があった。それなのに今回の風力被害には、誰もが逃げ飛んでしまっていた。放射能より、風力の方が肌感覚で分かりやすいのに。私は下記に示す小林先生の論文や測定データを由良町の人々に配布して説明した。

アホかっ、と言って投げつけられる。この文を受け取り話すことは一度もなかった。私が憎いと、人々の心は凝り固まっていた。これが他の人でも、たぶんダメだろうね。谷口愛子さんら被害者に聞いてみたけど、ボロクソに排除されていた。だから今、「風力の被害など聞いたこともない」と彼らは言っている。怒られてばかりだよ。彼らは勝ち誇っている。彼らは勝者なんだヨ。よかったネ。暗黒の時代が始まっている。

人々のチョットした心の綻びが、被害者の弾圧とか、生贄にして殺すとか、法律がないとか言って暴走を始めている。たくさんの風力被害者が苦しみながら死んだでしょ。それを笑いものにして踊って喜んだでしょ。普通では考えられない悪魔の儀式よ。1945年の太平洋戦争では、どんなことになったか、みんな知っている。原爆も爆撃も、自爆攻撃も、みんなが始めたことでしょ。謎でも何でもない。現実の歴史を見ているんだよ。

人間の理性なんてそんなものよ。風力発電は詐欺だ。風もないのに風力発電が回っている。人々には何の疑問もない、らしい。検証が必要だとも思わない、らしい。キシダは「さらなる再エネの推進」を歌う。日本の政治家に風力反対はいない。これがキツイかな。しょせんは日本人の反映だ。幻影を見たと思い込んでいる。ドイツのナチスや軍国主義を思わないか。人々は簡単に操られて転落する。被害者であってもな。

風力の陰謀に負けたらアカン。全体主義となった風力・再エネに、NO止めろ、と言おうぜい。現実の風力被害を言葉にして訴えよう。もう騙されへんで。