矜持で、風力発電の洗脳が解けるか。

日本人は洗脳に弱い。社会が一度洗脳されてしまうと、個人の力では刃が立たない。爆弾を抱えて自爆することが名誉なことだと称賛されていた74年前の戦争で、大叔父たちは「あんな戦争で死ねるかよ」と吐き捨てていた。自分の頭で考えて善悪を判断する。

当たり前のことだが日本人には難しいようだ。私には霊感があるのか、亡くなった父や母の夢を見る。明治初期に建てた古い家に住んでいるので、この家で生まれたたくさんの先祖たちにあうこともある。それだけのことだが、昨夜は、畑地区のあの谷口さんの夢を見た。

「由良さん、エライことになったな」と。私は、風力発電の低周波被害で、あれだけの被害を見ながら、誰もが口を閉ざしてしまう社会現象に驚きと失望に「これは?」と考えてきました。戦争を拒否した大叔父たちは、理不尽な戦争の情報をつかんでいたと思います。

戦後の混乱も冷徹に見ていたでしょう。楠木正成の遺伝子が生きていたんだと思います。知ること、そして人としての矜持であったことでしょう。今回、風力発電の被害で亡くなっていった人や、「被害はありません」と主張する人たち。情報がありながら、人としての尊厳が簡単に壊されていました。

元々そういう地域だったんでしょうけど。全国で同じような被害の否定が、その地域の人によって行われています。気味が悪い、というか恐ろしい事態ですよね。まるでロボットです。今日、8/20日の記事では、たとえ食えなくとも、ぎりぎりの矜持、真の誇りとは何か、と書いている。

正直言って私にはそこまでの覚悟はないが、なりゆきで「風力発電の被害」を訴えている。新聞やテレビには、風力発電の被害が伝えられることは決してない。インターネットを検索してみても、すでに私一人だけの抗議になっている。

私の書いてきたことはすべてウソだということになっているらしいが、インターネットの世界でさえ、洗脳、マインドコントロールのツールになっている。豊かになり過ぎた代償なんでしょうな。目の前で人が苦しみながら死んでいく。あるいは被害を避けて引っ越していく。それを笑いものにして囃して喜んでいる。

動物となった自称被害者たちの「私たちは風力発電には反対ではありません」というアホらしさ。「矜持」といっても、大方の人には分からないでしような。私は風力発電の被害を通じて、それが何を意味するのか分かったような気がします。逆に、被害者や被害地域でありながら、何も考えない人というのは、それだけのものだったのだろう。

由良町の風力発電を止めてくれ。地域の道徳がどれほど貶められたことか。これはアカンで。