私は土木科を卒業したけれど、本当は化学科へ行きたかったのだ。当時の化学科はとても厳しくて、40人入学して、10人程度がやっと卒業できるようなありさまだった。私は勉強ができなかったので、とても、そんなリスクは取れるはずもなかった。土木科なら、何とかごまかせると思ったのだ。従兄弟たちはみんな化学科だったから、肩身の狭い感じがしたものよ。
普通の一般化学のテストの成績は100点満点だった。可能性はあったのだと今でも思い出す。なんでも先祖の中に、ベンガラ、神社の赤色、水銀などの知識を持った帰化人がいて、化学頭が遺伝しているらしいのだ。今でも化学工場を経営している親類がいる。それはさておき、水素は空気の中には存在しない。存在できないのだ。無理に水素分子を作るにはエネルギーが必要になる。
そんな当たり前の事実をこの記事では説明しているのだ。当たり前すぎて、その通りさ、と私は反応するしかない。それを地球温暖化だ、脱炭素だ、と言うからおかしなことになるのだ。余計なエネルギーを費やしていることは、ここに書いたとおりだ。お花畑、人工芝の環境運動家には何を言っても分かるまい。もし私が化学科を卒業して、化学工場で働いていたなら、もっと信用のある書き方ができただろう。
現実は土木科を卒業して建設会社で働いてきた。頭より体力勝負の世界だったよ。いろんな事情があって、今は百姓して暮らしている。記事の中に非線形構造解析の言葉がある。学生時代に林正先生という有名な構造解析の先生がいた。例えば東京ドームの屋根がベコンとヘッコムことがある。非線形、飛移現象だ。テストに出たので数式を書いて答えを出したと思う。
構造解析Ⅰでは、和歌山工専出身で初めて一発で通してもらった。私にも若い時があったのだ。何かのイベントで水素をエネルギーにして楽しむなら良いとして、普段の生活で、水素はエネルギー源には無理だ。エネルギーの無駄遣い、それ以外に表現のしようがない。問題は、なんで世間の学者さん、政治家、事業者が疑問符を付けないかだ。私の常識が間違っているんだろうか。