由良町の風力被害を見ていて気が付くことがある。〈h20年11/11日、1000kw16基〉、〈h23年9/30日2000kw5基〉、全21基が山々に林立する。東伊豆町、南伊豆町の風力事件はh18年だからね、それを受けて環境省のh22年度の調査報告書には「被害を訴える者は精神疾患のもの」と有名な記述が残される。全国に風力被害の実態が発信されていた。関係者は今でも、その活き活きと書かれた現場の被害報告書を大事に持っている人は多いだろう。
東大の修士論文とか、有名になったやないか。ニーナビアポントの『Wind Turbine Syndrome』、汐見文隆『左脳受容説』はh19年の出版だ。アマゾンの書評欄には悪口がドツサリと書き込まれている。汐見先生の書評には、アッ、あの学者さんだねと分かるほど厭らしい書き方になっている。低周波被害の否定は、それほどレベルが低い。実際、被害者にならないと、なかなかこの本にまでたどり着かない。
私の書いた『風力発電の被害』なんかボロンチョよ。被害確率は100人に一人か、二人、と言っても面的な広がりがあるから、1000人いれば10~20人が低周波音に苦しんでいる。由良町では今も60人ほどが苦しんでいる。いや、正確に表現すると、私以外の人は風車が目に入らないし、低周波の苦しみも分からなくなっている?、言葉にできなくなっている。催眠術みたいなものだ。
人は暴行を受けると動物になるでしょ、人間性を失うんだよ。北朝鮮やソ連の収容所で、昔よく聞いたじゃないか。学術的にはフランクルの『夜と霧』が有名だ。ゲットーに収容され、強制収容所で暮らすと、人の感覚がなくなる。解放されても、元の自分に戻るまで長い年月が必要になる。風力被害地で我慢して暮らすとはそういうことなんだよ。性格が変わっていく。脳梗塞などで死んでしまう。ガンになるのは有名だよな。
それを人々は手を叩いて笑いものにしていた。もちろん私もアホにされているけど、一議員として風力被害を訴えたから、その弾圧風景は特別なドラマになっていた。この位置から、本当によく見えたよ。被害地には工学部を出た学者もいたし、頭の良い先生も多数いたと思っていた。何度か話し合ってみたけど、まったく拒否されて終わりよ。彼らは何を恐れていたのか、一切の言葉を拒否している。
慎重というのか、体制派なんだと言いたいのか、和歌山工専の環境科の先生と同じ冷笑だけ見せた。由良町は細長い谷あいの町で、閉鎖空間と言ってよい。有害な低周波音が定在波となり、へばりついている。h20年の16基で、4軒の被害者宅に二重サッシを付けて口止め契約をしている。隣町の広川風力でも大変な被害になって、汐見文隆医師が招聘された。
私のyoutube動画「morio yura」の「蒲公英工房にての談話」に同行した黒田街子さんの証言がある。とんでもない隠蔽工作を見たものよ。H17年の事だ。そこからよく見える下津町大窪地区の被害も知られていた。その上で、h23年の2000㎾5基が出来る。つまりな、既に周囲の町で風力被害が分かっていて、由良町でも口封じしながらの凶行だった。事業説明はあったけど、一般には知らされなかった。
指名された人だけ。私は全然知らなかったし、偶然に、事前説明があると聞いて飛んでいった。トリック、ゴマカシの座談会よ。私に発言の機会はない。なぜか嫌われていた。それからh23年11月末になって、谷口愛子さんから悲鳴のような電話が来る。ここから始まったのだ。風力で恐れ多い栄誉に輝いた人は多い。人が苦しみ狂い死んでいるのに、朗らかに笑っている。「被害などあるはずがない」ってか。よく言うわ。
彼らは生贄を知っていた。東伊豆町などで被害隠ぺい、弾圧のマニュアルを見ていた。差別地域で何とでもなる。私も親父から「ほっとけ、相手になったらアカン」と言われていた。怖いもの見たさで聞きに回ったら、やはりその通りだったよ。余禄は、私の住む門前地区でも、すっかり住民の意識変化、私への嫌悪が広がっていたことだ。人物破壊よ。我家は旧家だからね。特殊な武家公家の気位がある。
それをまた「オマエは同和だろう」と言ってくる人が多々いて困ったよ。私の家柄自慢はさらに強まった。地域の人と話しても、人種が違うんだよ、とハッキリと言っている。ほとんど話す機会もないけどな。たぶん、門前地区でも10~20人程度の被害感のある人はいるだろう。5年ほど前、近所で5人ほどがバタバタと倒れて死んだことがあった。親子で死んだ家もあって、それは畑地区でも同じ有様を見た。
谷口さんの話では、自死ではないか、と聞いている。差別言葉で書きたいけど、怒られるわな。もう人ではなかったんだよ。それほどギリギリに追い詰められていた。地域対策の恐ろしさを今になって思い出している。殺人事件なんやで。何らかの必要があって行われたと見るのは私だけか。かつて、ダム計画に参加したことがあった。「あんな部落は早くダムの底へ沈めてしまえ」そう言っていたもんさ。
畑地区がどんな扱いにされたかは知らない。被害者たちの塗炭の苦しみを見てきた。それを「アホよら」と笑っている。由良町が、そういうデストピアに改変されていた。社会は、破壊されたのだった。