信なくんば立たず。

中国の儒教、孔子の言葉である。終戦の詔を書いた安岡正篤は、よくこの言葉を引用した。有名な話に、「大義をもって戦を止める」と書いたつもりが、「時運の赴くところ」と変えられていたという。成り行きで戦を止めました、と言う意味らしい。これでは信頼は得られまい、とエライ鼻息よ。私から見れば、タダの言葉遊びやな、と思うけど、諸君はどうかな。そんな昔話はどうでもいいか。

今、衆議院選挙をやっていて、どれを見ても聞いても責任とか、気高さのある人は見かけない。私が風力発電の被害を訴えて、あちこちに掛け合ってきたせいだろうか。誰も相手になる人はいなかった。再エネ議連という、手数料を分け合う仕組みが出来上がっていた。まず巨額の税金が投入される。今朝の産経にも、そんな抽象的な投資額が踊っていた。カネ目当ての宣伝だ。マスゴミという。

日本だけじゃないけど、由良町の風力被害に見るように、日本独特な隠ぺい作戦、弾圧政策がある。政治はすべて、さらなる再エネ推進と決まっていた。民主主義なんだから、誰かが「風車を止めろ」と言ってもよさそうなもんだけどな。与党も野党も、誰一人として風力被害に関わるものはいなかった。東北地方や北海道でも同じでしょ。有名な東伊豆町では、なんか変化があったかい。

「被害はありません」ってか。たくさんの風力被害者が苦しみながら死んだんでしょ。関係ないか。被害者は虐待するとすぐに動物になる。卓越した低周波音に頭をやられているから、簡単なもみ消しさ。被害を訴える者は精神疾患のもの、と環境省の報告書は書いている。毎年のように、低周波音と健康被害は関連はないと書いている。それよりも、風力には低周波はないとされているからね。

恐ろしい政府見解、政治の腐敗を見ている。これまでの風力被害者を見ると、ボロクソな笑いものにされて消されてきたやないか。被害地域の由良町でさえ、「ワシらは面白うてならんのや」と言っている。固定化された人々の認識だ。思いやりとか、同情とか、被害に苦しむ人に対する優しさはどこにもない。蔑視、あざ笑い、排斥の感情が覆い尽くされている。どこの風力被害地でもそうでしょ。

日本人の性格が、こんな風力地獄を広げていった。どうせ人口は減っていって、やがて住む人もいなくなる。不要な集落だから。追い打ちをかけて消し去るか。ダムを造って沈めてしまうようなもんよ。人間への信頼、こんなバカバカしい社会政策もない。日本全国でやっているからね。それに対して誰も反抗できないでいる。なんと私一人が、風力発電の低周波音で苦しんでいるから止めてくれ、と訴えている。

「考える会」がやっている「私たちは土砂崩れが心配です」という宣伝は何だろうね。あるいはいつもの御用学者を担いで摩訶不思議なグラフや数式に有難がっているお花畑のアホらしさよ。メガソーラーの自然破壊でも同じメンバーが集まって、土砂崩れだと繰り返している。社会操作だと分かる人もいるのに。虚無、カラッポな人々の群れを見ないか。それらの人たちが、たとえば由良町の被害者を助けてくれたか。

いやいや、とうに自称・被害者たちは「私たちは風力発電には反対ではありません」と言っているから、笑い話にもならないけどな。【風力の被害など聞いたこともない】これが風力発電の地域のポリシーだ。よくもこんな公害がそのままの状態で続いているな。悲惨な被害者たちの死を見て来ただろう。私だって、風車病の苦しみを何度もしつこく発信してきた。命がけなんだよ。

それが、日本だけ、風力被害者をバカにして殺して喜んでいる。その精神性が恐ろしい犯罪だと書いてきた。デストピア、地獄の風景なんやで。由良町だけの被害じゃないだろう。選挙を前にして、被害者を否定する人に信用なんかない。裏金問題というけれど、再エネ議連の手数料もすごいだろ。与党も野党もない腐りように、新しい人材はないのかと思わないか。

幕末の大塩平八郎のようにして、明治維新にまっしぐらに走り抜ける英雄が待ち遠しい。このままでは日本が消えてしまうようだ。風力発電の低周波で苦しんでいる。たとえ弾圧があったとしても、誰も何も言えない、何もできないなんて、これが日本人の真実だろうか。世界ではどの国でも、どの地域でも、「Stop wind turbines !」と怒りをあらわにしている。日本だけ、土砂崩れかい。

笑わせるで。ウソつきの地域対策には気が付く人もいるだろう。蹴っ飛ばしてやれ。新しい時代が見えるかもしれんで。破壊すべきは風力とその手先だ。