ハチャメチャな現実を見よ。

蜜柑の消毒をやっている。カメムシが湧いている。農薬の高くなったことよ。採算を気にしながら、この代金を取り戻せるだろうかと胸算用さ。周囲の百姓たちは高齢化と、すっかり顔触れが変わっている。もはや若者の世代なのだった。彼らとは感覚が違う。話そうと思っても、通じない何か、壁みたいな遮断があるようだ。これも風力発電のせいか。風車病、低周波被害を言っても、まったく何も伝わらない。アホにして笑われるだけ。そのように私の評価は定着している。

見事な社会操作だ。これが海外なら、地域の人々が協力して抗議運動になっている。由良町は違う。敵意、憎しみの的にされる。水俣病や被爆者みたい。h24年、風力被害者たちはアホにされて笑われ者として死んでいった。その風力事件を訴えた、ということで私は村八分となる。自称・被害者たちはすべて裏切っていた。これが面白かったかな。私のセイで、こうなったと言われている。被害者たちの一番の敵は、私なのだ。嫌悪の的よ。

周辺の町でも同じことで、風力被害の様子を見にドライブに行くと、険しい視線が向けられる。実際に話しかけると、「ワシらは土砂崩れが心配なんや」と怒っていた。そんなに怒らなくとも、と這う這うの体で逃げ出す。10年前、ジャーナリストが風力被害地に取材に行くとコテンパンに叩き出されたという。被害なんてない、らしいのだ。地域対策として、いかに住民の精神が、価値観が、凝り固まっているのか伝えられていた。奴隷根性。自己家畜化。

まともな人もいたはずなのに、蓋を開けたら、みんな同じ人形になっていた。ロボットになっていたのだ。不思議に思わないかい。海外なら普通に風力反対!、と言っているのに、日本だけが「考える会」を作って「ワシらは土砂崩れが心配なんです」と言っている。低周波被害に苦しんでいるのに、核心の言葉はタブー視されている。アホよら、関係ない、といつものセリフを繰り返す。簡単に人間性を奪われている。なんかヘンやな、思考する、Philosophyがない。

アルゴリズムがない。いや、そのように考え付く思考回路に固定化される。風力発電の被害を通じて、日本人がこんなにも単純でおバカさんでしかなかったのか、と驚いたのだ。新しい日本人論かな。水俣病などの公害と同じカラクリを見る。地域対策の恐怖だ。それはきっかけに過ぎないとしても、何が真実か、なんて考えるのが人間というものだろう。その人間性を否定するのが日本の原理主義なのだ。みんなと一緒に。全員参加で。日本の支配原理に戦慄しないか。

私は一人でも自由に生きたいのだ。役場や近所の目を恐れて、ヘコヘコして生きるなんてゾッとする。社会に溶け込んで生活する、なんて真似はできそうにない。この点、スパイ工作員は巧みよな。ものの見事に住民たちを扇動していく。余所者でも悪党でも、この手腕だけはテキメンだよ。だから詐欺が成り立つんだね。添付の新聞記事を見るがよい。無茶苦茶な論理なのに、こんな政策を国が、行政が、政治が、一生懸命に実施している。被害者の言葉がない。

初めから被害の否定が車の両輪になっていた。弾圧政策よ。「隷属させるな」とは、その通り、言葉通りの現実だ。歪んだ精神性を見ないか。日本人にだけ、それが分からないんやで。このオッサンもな。私は、日本に、まともな風力反対がなかったことに落胆している。被害者の死を多々見ても、日本人は笑って喜ぶだけだった。全国に風力裁判が伝わっているでしょ。誰も何も反応しない。むしろ喜んでいる。何が悪いのかさえ、理解できないのだ。

判断する心の基準がない。「法律がない」とかさ、そんな浅薄な事件じゃないだろ。独特な被害地模様が出来上がっている。低周波音に敏感な人は一定の割合で存在するから、そんな人が被害地に来ると、ワッ、ナニコレ? と嫌な気分が噴き出す。どんな理由があろうとだ。優生思想じゃあるまいに、敏感者は消えてなくなれ。皆で受容する。生贄を楽しみにする。怒りや憎しみを煽る。とことん行ってしまいましたな。このまま、さらなる再エネの推進が国是となるのかい。

日本人の荒廃が目に余る。それが面白いか。まだまだ日本は豊かなのかもしれないね。もっと徹底的に叩き潰してやれば、アッ、これはアメリカ人の言葉やった。日本に対する海外の目は冷たく厳しい。ミサイルも爆弾もない、新しい戦争になっているかもな。