平成27年6月15日、定例議会の一般質問の発言要旨です。

今回は、畑中町長が直々に答弁しました。しかし、その内容は、これまで以上に風力発電の被害を否定し、「低周波により病になった人はいない」、と強弁するものでした。
また、事後測定についても、〈マニュアルに基づいて資格のあるコンサルタントが行っている。素人の測定ではない。〉 と、汐見先生や、我々被害者が測定した。
被害の原因である特異なピークを持った低周波音を否定した。
私は、日本気象協会が測定した報告書を示して、これは詐欺資料だと発言しました。

最後に、玉置議長からは、「不穏当、不適切な発言がありました。議長により後日調査をし、取り消しを命じます。根拠のない、単なる風評に基づく発言は禁止します。」とされた。
おかしいな、他の被害者から聞いたことですが、玉置議長さんに被害の実態、自分の苦しさなどを聞いてもらいました。と報告を受けています。誰だ。嘘をついているのは。

今回の答弁では、ある大学が被害地域を聞き取り調査して、アンケート調査をして、由良町役場にも報告したらしいことを聞いていました。しかし、町長は知らないという。総務課長は関係ない、という。
私の質問要旨には、ほとんど何も答えてはくれませんでした。
虐げられるものは、どんどんと自尊心を無くしていく。加害者たちは、どんどんと倫理をなくして冷酷に無関心になる。

このようにして作られた社会では、この常識に合すことに一生懸命になって、私のような「変な人」を受け入れずに、非難します。
被害地域でも同じことになっています。痛い、苦しい。辛い。人として、当たり前の感覚を言葉にできずに、世間の常識に合わせて神経をすり減らす。自分らしく生きる勇気は無い。
生きている意味さえ分からないだろう。人間の尊厳、自尊心とは何かも知らないだろう。

私は違う。常識外れと思われても良い。痛いものは痛い。苦しいものは止めてくれ。辛い低周波音は止めてくれ。と信念を持って言葉にできる。
勇気でも何でもない。自分が生まれて生きてきて、当然の権利ではないか。

風力発電の低周波音による健康被害について

私は、風力発電被害がある限り、この問題を訴え続けなければなりません。
被害地域では、平成23年から今日に至るまで、24時間、毎日、耳鳴り、耳の痛み、頭痛、目まい、首の痛み、体のしんどさに人々が苦しめられています。
声を上げられないでいます。事業者との協定書には、第2条に、「低周波、電磁波等により、地区住民に被害を与えないこと」と書かれています。

ここに書かれている「被害を与えないこと」というのは、具体的にどんなことを指しているんでしょうか。
「被害」の定義と合わせてお答えください。

和歌山市在住の汐見文隆医師は、平成19年9月に出版した著書『左脳受容説』において、広川町の山本地区に建設された風力発電(1.500kw)の低周波音を測定し、その被害の実態を報告しています。
また、平成20年11月に稼働した広川明神山風力発電(1.000kw,  16基)においても、被害があることが分かっていました。
それでも、さらに由良風力発電所(2.000kw,5基)を建設して、地域が激しい被害に襲われることになりました。
これは上記協定書に違反すると考えますが、なぜ被害を無視して拡大を認められたんでしょうか ?

協定書の第2条には、「騒音、低周波、電磁波等については、風力発電機稼働後、速やかに騒音測定等の調査を行い、影響評価を行うものとする」と書いてあります。
明らかに、この協定書には、騒音と、低周波と、電磁波が、別々の物理現象を持った影響のあるものとして、書かれています。
ここに書かれている影響評価を行ってください。被害に苦しむ人たちがいます。信用できる第三者機関に調査を実施させてください。

騒音と、低周波音は、物理現象が違うんです。
騒音は、窓を閉めたら静かになりますが、低周波音は、窓を閉めても貫通します。通り抜けます。
特異なピークを持った低周波音は、エネルギーをもった空気振動として、人間に被害を与えます。苦しみを与えます。
低周波音測定器で測定してみれば、明らかです。

先の汐見文隆医師の書物にも、たくさんの測定事例が記載されています。
音が聞こえるか、聞こえないか、ではありません。
由良町の風力発電被害の場合、1Hz,2Hz周辺で、特異なピークを持った周波数が連続して観測されます。1~2秒間に、20dbから30dbの激しい差異を持って、継続して変動します。
これはエネルギー量に換算すると、10dbで10倍、20dbで100倍、30dbで1.000倍のエネルギー変動に襲われることになります。
自然音ではありません。人工音が衝撃波として襲います。

このような現象を前にして、聞こえるか、聞こえないか、という前提で、騒音評価としてのA特性、G特性などは意味を持たないものです。
聞こえない音として、低周波音を切り捨て、測定数値を低減して評価することは、被害実態の把握には、全く相反する間違った評価であることは明らかです。
平成25年12月に、日弁連環境部会が環境省などに提出した意見書には、A特性もG特性もしない(補正しない)音圧測定をF特性として記載しています。
「聞こえないから生理的な影響はない」という感覚閾値論は、低周波音被害を切り捨てるための方便、手段でしかありません。

また、長期間、数カ月、数年を経て、低周波音被害を発症した人の許容値は、低下する可能性があると言われています。
低い音圧でも反応します。
低周波音に対して、平均的な人よりも、生理的、心理的に敏感に反応することになります。
これは辛いでしょう。ちょっとしたエアコンや、大型冷蔵庫、エコキュートなどにも反応して、頭痛や目まいが起こることになります。
たしかに、このような被害は、一人ひとりの体質や感受性によって同じではありません。しかし、低周波音の被害者となる人は誰もが社会的に孤立させられています。
生存権を脅かされています。日常の生活の質が低下して、目まいや頭痛に苦しみながらの生活を強いられています。

由良町で起こっている風力発電の被害は、小さい谷あいの町である地形が大きな要因ともなっているでしょう。響き合い、共鳴、反射、低周波音の流れ、様々な要因が考えられます。
たくさんの人が苦しんでいます。
環境問題に関心のある支援者の人からは、「ロボットのようになるそうだね」と、被害者の外見を、第三者として聞かされることがあります。
長年の被害を受け、人としての尊厳まで見失うようになる、ということです。

気力がなくなります。消極的になります。性格も変わります。人間性を奪われるということです。
また、子供たちの様子はどうでしょうか。アメリカ在住の病理学者、二―ナ・ピアポントは、子供の成育には重大な影響を与える、と報告しています。
「ウィンドタービンシンドローム」世界中の被害者が読んでいます。
是非、皆さんも当事者なんですから、汐見先生の本とともに読んでみてください。

一部、鶴田由紀さんが和約、翻訳して、一般の日本人にも読めるようになっています。
どちらも、表現の差はあれ、本質的に同じことが書かれています。
私たちは、風力発電が大きな被害をもたらすことを知っています。
地域の人々が苦しんでいることも知っています。

他人事だからと言って、被害に苦しむ人たちを見捨ててはなりません。基準がないとか、法律がないとか、今、目の前で苦しんでいる被害者を放っておくわけにはいきません。
一人一人が町民なんです。生きている人間なんです。大切に考えようではないですか。
私がこの場で訴えることは、是非、風力発電を一旦止めて、被害の実態が分かるような誠実な調査、聞き取り調査をしてください。ということにつきます。
地域の人々が苦しんでいます。

私たちは、人として、何かできることがあるでしょう。
風力発電所の低周波音被害に関して、国、県、企業が、どのような対応をしているのか、調査してください。
風力発電の被害が認定されている地域はありますか ?その場合、何を基準にしていますか。被害補償などがなされているんでしょうか。
これらは、小さな地域に、多数の風力発電所の建設を許してしまった由良町が、責任を持って答えるべき問題です。

答弁願います。      以上。

質疑①
最近、何人かの人に聞いたことですが、畑地区の住民に対して、大学の研究者が風力発電の被害状況をアンケート調査、聞き取り調査をしたということです。
由良町役場にも報告が来ていて、対応していると、私にも伝えられました。

詳しいことは、私には分かりません。この場をお借りして、「いつから、どのような調査がなされたのか」
その調査結果は、どのような内容のものだったのか。

そして、調査、結果に対して、どのように被害の解決に向けて取り組むのか。お聞かせ願いたい。
風力発電のせいで、耳鳴りがする、耳が痛い、頭が痛い、と言うと、何か差別されて、偏見を持たれているように思います。
環境省の報告書にあるように、「精神的疾患を有する人、あるいは精神疾患の気質を有する人」と報告されているせいでしょうか。
私たち被害者は、風力発電なんかよりも、人間性を必要としています。

電気やエネルギーよりも、優しさと思いやりを必要としています。
私たちは、お互いの幸福によって生きたいのであって、お互いの悲惨によって、ではありません。

どんな事業にも利権はあるでしょう。しかし、私たちは家畜ではない。泣いたり、笑ったりする普通の人間です。
どうか、普通の人間が、風力発電の低周波音により、苦しんでいることを理解してください。答弁、願います。

質疑②
「いじめ」を傍観するものは、加害者です。
風力発電により、多くの人が頭痛や目まいで苦しんでいます。
それを知って、知らされても、被害を否定し、風力事業に付和雷同している由良町の姿が問題ではないでしょうか。
風力発電が低周波音被害を与えているのも悪いが、それ以上に、被害を見て、被害者の苦しむ声を聞いて、見て見ぬ振りをする多くの人の姿も見ていられるものではありません。
被害者は、結局のところ、自宅を捨てるか、苦しみながら死ぬより他にない。これが被害者たちの現実です。

「思いやり」のある人は、誰でも「何とかしてあげたら良いのに」と思っているでしょう。
しかし、それは錯覚です。自分は責任を逃れていると信じている悪質な加害者の一人です。
公害事件に中立はありません。善か、悪か、それだけです。

加害者か、被害者か、ということです。中立と思っている人は、単に日和見主義の加害者です。
「思いやり」と「正義」は両立しません。
由良町が何を求めているのか。何をしたいのか。誰も分からないでしょう。
そして平成23年の12月議会から、これまでの3年半、この風力発電問題に大した疑問も感じない、こうした人々が犠牲者でなくて何でありましょうか。

言われなければ何も分からない人。自己判断力をなくした人。言葉を信じない軽薄な人。
そして、それを知っても、知らされても、知らん顔を決め込む人。
この風力発電の被害を前にして、現実から離れた、これまでのたくさんの答弁は、対話でも質疑でもなく、残酷なものでした。

被害者にも、それぞれ被害の実感、体験、そして信条や価値観があるでしょう。
被害を受けて苦しむ人たちは、自尊心を持って生きることができないのか。あるいは、人間の自尊心とは何か知らないのか。
ヨーロッパ社会では、被害があっても、被害対策、被害予防に努力がなされています。
日本ではどうでしょうか。風力発電の情報を隠蔽して、対立を産み出さないように、そして、被害があっても認知しない。さらに、それを精神疾患と断じて、被害のある苦しみ自体を殺害する。
人としての自尊心を認めないことになっている。

汐見文隆医師の言葉を紹介します。
「救急患者が苦痛を訴えているのに、その原因ばかり探っていたのでは、患者は死んでしまう。早く音源対策をさせるべきだ」
今や汐見先生の言葉は、経文のように、聖書の言葉のように、我々、多くの被害者の心に滲みています。
風力発電による健康被害は、簡単に否定し、正当化できるものではありません。
この被害に苦しむ人のために、由良町の対応をお聞かせください。