お花畑の災厄

h24年、ジャーナリストたちが由良町に来て、風力被害で何が起こっているのか確認作業に当たっていた。同時に奇妙な環境運動家?が多数、物見遊山じゃあるまいに侵入していた。我家にもいろんな人が来たから、暴言も含めて、異常な事態になっていることを知る。被害者の否定。更年期障害なんだ、とか、勘違いだとか、見も知らない人なのに、何を言っているのかと思ったよ。役場では「観光資源になる」と言っていた。

10年経った今もそう言うからね、人の心は無いのかい、と社会の暗闇を見る。由良町の周辺では、ドンドンと巨大な風車が建てられていく。あたかも心配して「反対」と言っている自然保護の人が、「私たちは土砂崩れが心配です」という。アレッ? オマエの隣、周辺には低周波音で苦しんでいる人がいくらもあるだろ。そいつらは関係ないのかい。「誰もそんなこと言ってない」と断言するからね。

由良町でもそうだから、手に取るようにその悪意が分かる。本当は風車が怖いんだ。摺り込まれた呪文に呪われている。ふと、その人には思考の自由がないことに気が付く。自動人形。とうにその人の意志などなくなって、「みんな」と一緒に頑張るんだという。少し話しただけでは分からないけど、2度、3度と話してみると、まるでA4のコピー用紙に書かれた文を読み上げるように同じ話を繰り返していた。

AIロボットや。実はな、全国に徘徊する環境運動家も同じパターンなんやで。私は汐見文隆医師やニーナビアポントの本を信じているけど、彼らは全否定する。アマゾンの書評欄に書かれた文言と同じ精神性を見る。風力ファシズムなんだけど、もっと異常な住民に対する攻撃性がある。自然エネルギー、風力発電の効率の良さ、なんて自慢の種だ。すべては嘘八百なのに、自慢げに堂々とまくしたてる。

中にはパンフを用意して説明し出す人もいる。どこかの宗教団体と同じやで。カルトやで。それがさ、全国各地で【お花畑】として賑わっているんだよ。地産地消で頑張りましょう、とかさ。たまに全国大会だと言っては大盛況になっている。カネ、イデオロギー崇拝、キャンペーン、詐欺商法そのものやないか。政治家のスピーチの汚いことよ。今も検索するとそんな政治家がドツサリ出てくる。お花畑と政治は連携している。

政治と宗教の関係みたい。政治家が、いかに役に立たないのか分かるだろ。海外では、風力被害に堂々と抗議を行っている。ところが日本にはそんなものどこにもない。「土砂崩れが心配です」というばかりよ。それがどんな意味を持っているか、なんて誰にも分からないんだから目も当てられない。それも真実だ!、というばかりよ。なんや、オマエはお花畑か。低周波被害、風車病の苦しみ、恐怖が通じない。

全面否定になっていた。風力の宗教団体に嵌まり込んでいる。さぞや周囲の環境運動家と一緒になって喜んでいるだろう。人の不幸が面白い。そんな気配が垣間見える。もっと大事な理由があるんだよ、というばかりだ。被害地になると、そこの人たちは家畜になってしまうでしょ。苦しみながら死ぬ。次々と屠殺されているのに無抵抗、無意識、反抗がない。人の心が奪われている。初めから言われているように、ボットにされるんやで。

薄っぺらい人になるんやで。みんな知っていたのに、笑いものにして喜んでいる。な~んや、地域対策のお愉しみかい。それが面白かったんやな。有田地方や日高地方で同じフレーズを聞く。「アホよら」、「関係ない」、まるで魂を奪われた操り人形になっていた。ワッ、すごいな、と私は驚いているけど、本人には分からない。自信にあふれているんだ。なんせ、みんなと一緒だからね。

それって家畜化というんだけど、まずこの言説は通じない。一旦、お花畑に触れると毒牙に麻痺して良心をなくしてしまう。洗脳マシーンになる。これが和歌山の現実だ。全国どこでも同じでしょ。やばいな。と思わないか。地球温暖化だ、カーボンニュートラルだ、と意味を持ったスローガンが定着している。そのためには被害者はリスクでしかないんかい。笑いもので無視することが正義なんかい。生贄にして皆で虐め殺す。

風力発電は虚構でも、被害者や人々の狂喜は現実だ。ここまで狂ってしまった日本社会に、誰も「止めろ」という人がいない。前ページに書いたとおり、私がこのページを書き続ける理由はここにある。正反対の、真逆の風力反対を見て、誰もその心理トリックに「それは違う」と反対できない。そんな感覚さえ持てないでいる。何が土砂災害だよ。アホ抜かせ。日本人諸君よ、こんなにアホにされて騙されているのに、憤怒はないんかい。

それは私に対する拒否感、嫌悪かい。由良町で風力に苦しみながら死んだ人らは可哀そうだった。差別して吐き捨ててそれで終わり。全国の人がその惨劇を見つめていた。どこでも同じ事やっているからね。これでいいのか。日本でも風力反対! をやらないか。低周波で耳鳴りや目まいで苦しんでいる。助けてほしいのだ。