超国家主義の風力発電

風力発電には健康被害だけでなく、その有効性、景観、精神性にまで被害が及ぶ。フランスのモンサンミッシェル周辺では、見えるだけでもダメ、とフランス人独特のアレルギー反応を見る。ドイツ人の反対理由と、こうも違うのかと人種の違いを見る。それでスペインやポルトガルの風力反対を見ても、そのお国柄が違うことに記事、ニュースを見て分かるのだ。

アメリカでも過激でしょ。これらの反対運動を見ていて、ソーシャルメディアSNSを使ったQアノンのような陰謀論とは、また違った危機感が迫っていることが分かるだろう。なんせ日本語で検索すると、風力被害、風力反対とは、環境省とその手先の環境運動家、「考える会」のプロパガンダで覆われてしまっている。

日本の環境省はさ、水俣や福島で見るように被害の否定、地域対策が目的だ。そこには御用学者を集めて作られたヘンテコな学会が用意されていて、それこそ嘘八百の論文が乱れ飛ぶ。彼らの被害否定の論文を見れば良い。海外のそれらの調査研究資料と比較すればよい。真逆なんだよ。

そのレベルの差に、これが技術立国か、先進国日本の姿なのかと慄くで。そりゃ、世界からはアホにされるで。もちろん海外にはアホらしい論文はいくらでもある。それでもこのページで小林芳正先生が紹介したように真摯なレポートはたくさんある。2016年あたりからアップしているから見たらよい。

2019.3/11、3/12~のフィンランド、JGRの記事などスゴイ研究がある。日本にはそんなもの一つもない。お寒い限りよ。日本が異常なのは被害を否定するだけではなく、地域対策として被害に苦しむ人を弾圧して消し去ってきたことだ。それも地域の行政、政治を使い、地域の人々を動員して情報管理、心理コントロールを行っていることだ。

それがさ、人々は嫌々ながらやるんじゃなくて、嬉々として被害者を虐待して殺して喜んでいたのだ。それを目の当たりにして「止めろ」と抗議したのは私一人であった。被害者でさえ、「私たちは風力発電には反対ではありません」と口ずさむように変化していたのだ。実際は苦しみながら死んでしまうんだけどな。

周囲から散々なイジメや嫌がらせがあったと聞く。役場は被害の訴えは一件もありませんという。こうまでしてシラを切れる精神とは何なのか、私一人がびっくりしたものだよ。他の人は笑っていた。何が面白いんだろうか、と今もそれが不思議なわだかまりとして、裏切りとして記憶に残っている。

被害者たちにも家族がいたからね。その誰もが知らん顔している。何度か協力を頼んだけれど、一様に拒否された。関係ない、というのだった。これが日本人のアイデンティティなのだった。建前と本音。実際に被害に苦しんでいるのに、それはまた別の話だ、と風車病を否定する被害者の心理は何なのか。

みんなと一緒、同調圧力なのか。地域対策の会合ではそのように洗脳されている。2019.2/7日にアップしたとおりだ。このようにして風力被害者たちは死んでいった。その録音の中で谷口さんは死んだ人の名前を指折り数えているでしょ。主催者や参加者たちはその話をジッと聞いている。地獄の風景だよ。

これが風力被害地の真実だ。各地で同じ洗脳プログラムがあることを明らかにしている。関係者には当たり前のことだろうけど。一体、何のためにこんな酷い弾圧を行っているのか、日本人も考えてみないか。英語やドイツ語で検索して見ると、彼らは堂々と風力発電の被害に抗議して拒否しているではないか。

日本のように老人だけじゃなくって、子供から若者たちまで、職場の人を集めては「NO」と言っている。そして健康被害を訴えている。「Stop wind turbines !」とな。風力発電はいらない「Kein windpark」と訴えている。これが真実だと私は思っている。ところが日本の反対運動は違う。

被害を否定する御用学者を担いで、いつもの環境運動家が司会して「土砂災害だ」、洪水だ、と言葉をすり替えている。環境運動会みたいなものか。被害者がいて苦しんでいるなんてことは一つもない。由良町でもそうだからさ、何で? と思うのは私だけではあるまい。それが日本では私一人なんだから仰け反るのだよ。

日本はどうなっているんだとな。「風力の被害など聞いたこともない」このフレーズが全国を覆っている。私にそう言う人はあざ笑いと共に優越感たっぷりの表情を見せる。勝ち誇っているのだ。アレアレ、人間じゃないな、オウムだよ、と私は思っているけど、もう口には出さない。反論するといきなり叫ばれるからね。

風力ファシズムとはよく言ったものさ。谷口さんらはこのようにしてイジメ倒されて死んでいった。家族の人はもちろん知っている。沈黙しかないのか。いやいやジャマな人がいなくなったのでセイセイしているんだろう。ヒドイ言葉を何度も聞かされている。畑地区だけでなく、私の住む門前地区でもな。

これではもう、誰の責任、なんて論理じゃない。社会的に風力発電の被害はないのだ。少なくとも表面的にはな。由良町では私がただ一人だ。それが日本でも私一人になっている。他に誰か風力発電の被害を訴えているバカはいるか。東北や北海道の、あの凄まじい風力地獄では、みんなとても幸せそうじゃないか。

けた違いの被害があるはずなんだが、一つもそんな話が伝わってこない。被害なんかない、そんな権幕だろうかね。キシダは、さらなる再エネの推進を謡う。日本社会はまっしぐらだ。私は、あの戦争の時と同じやな、と見ているのだ。爆弾抱えて自爆攻撃までして若者を殺していた。

日本人はみな喜んでいたやないか。CRAZYと言われていたのを知らないのかい。私は御免だね。日本は同じことを繰り返す。民族性か。今回の風力被害は、さらに日本人の精神まで破壊されてしまっている。風力発電は、いったい誰がやっているんよ? という最初からの声が蘇る。誰にも責任がない。不気味な笑いが人々の顔に張り付いている。世界中の笑いものよ。