メガソーラー、黒い侵入者たち

やっと産経でも太陽パネルのアホらしさを記事にするようになったか。私の住む和歌山県でも、それはすごいことになっている。しかし、何が悪いのか、という本当のことは誰も言えないでいる。風力発電なんか、もっと悪いけどな。この記事がいけないところは、やはり産経特有の提灯記事になっていることだ。

景観設計して、工夫しましょうというのだ。私は土木科を卒業して、土木事業を体験してきたので、このトリックがよくわかる。ダムや火力発電所の周囲は、樹木を公園風にめぐらして、景観を和らげているでしょ。住宅で言えば縁側の工夫よ。だからこの記事には国連の方針とか、デザインとかの言葉が躍ることになる。

違うだろう。私は親から引き継いだ田畑があるので、そこにソーラーパネルを敷き詰めるなんて、トンデモナイことに思える。米を作ったり、ミカンを作ったりすることが私の仕事だ。twitterなどでは、「土砂崩れ」と言って、盛んに写真を見せているけれど、それも違う。太陽パネルは夜は発電しない。雨の日も曇りの日も発電しない。

日本には梅雨といって雨季があるから、その期間は全く当てにはならない。9月の長雨もある。日本の気候は、毎日、くるくると様変わりする。お天気屋さん、といえば分かるだろう。ところが、電気というものは、必要な時に必要な電気がなければ使い物にならない。今、曇りだから発電しない、では済まない。その逆もあって、日曜日に、電気もいらないのに、有り余る発電をしても意味がない。

実際には、常に一定して火力発電が送電している。太陽パネルは無駄なエネルギーでしかない。余った電気は風力発電を回すために使っている。風力も太陽光も、天気次第で使い物になる電源ではない。こんなことは最初から分かっているではないか。そして、この費用はすべて税金なのだ。批判、抗議することはタブーにされている。

実質は、自然エネルギーとか、クリーンエネルギーとかではない。再エネという作り話よ。こんなものに政治利権があるからおかしなことになるのだ。いや、政治屋のアホさが炙り出されただけなんだがね。低い稼働率と、不安定な電気、実際には使い物にはならない。自然環境の破壊と、周辺の住民の健康被害、これが風力とメガソーラーの現実だ。

日本人は、これだけ被害を受けながら、だれも抵抗することができないでいる。あたかも被害を心配する風を見せて、「黒い侵入者」と書きながら、結論は持続可能な開発と書きなぐるあたりは、幇間、太鼓持ち、でしかない人の残念な姿よ。カネの亡者だ。