社会から搾り取るつもり

風力発電や太陽パネルは、一般の電源としては何の役にも立っていないやろ、と私は書いてきた。風車病に苦しみ亡くなっていった被害者に関係したから、なおさらその思いは強い。今日の産経記事では、脱炭素のためには日銀も介入すべきだ、とある。搾れるだけ絞るつもりだ。理由は地球温暖化防止とあるがそれも怪しくなっている。

いつもの気候変動対策の言葉が躍っている。由良町のような被害現場の現実はどこにもない。つまり詐欺、トリックだ。6日前、月曜の記事には太陽パネルの設備稼働率はわずか13%とあった。それもお天気任せだ。風力発電などは、そんな風なんか吹いていないから論外だろう。ではこの記事の目的は何か。

せっせとお札を刷って、太陽パネルや風車の建設につぎ込め、ということだ。御用学者丸出しよな。水俣病の時もこんな感じだった。ウィルス説とかさ。学者という人種は地に堕ちた。政治や行政の手先だよ。そして何よりも、私たち日本人が批判精神を持たないことが最大の欠点だということも明らかになる。あれだけ近所の(私なんか典型だ)悪口を盛んに言い立てる人たちが、学者や役場の言うことならコロリと参ってしまうのだ。

人間の中身なんてなかったのだ。「脱炭素」というスローガン、夢物語、炭素が生物の歴史を紡いできたことを知らないか。これだけ再エネにカネかけて、少しは地球が涼しくなったのか。違うだろう。私は再エネの被害は風力発電だけではないと考えている。この記事の連中が被害者を弾圧して、きれいごとだけの上澄みを啜っている。自然との共生、とか何とか。

イデオロギー、理想に見せかけてはいても、ただの拝金主義の卑しさよ。メルヘンMärchen 語源通りだよ。被害は1億人の国民に分散されるから、やはり誰も知らないふりするんだろう。「関係ない」と。政治家が、国会が、議会が、政党が、誰も反対しないなんておかしいだろう。誰も責任を取らない、ということなんやで。

8/15日の、あの日のようやないか。それ以前に止めることはできたはずだ。再エネ政策は止めようぜい。風力発電を撤去しよう。メガソーラーも止めよう。汚いウソに騙されていることに気が付こう。