奇妙な再エネ

燃焼時に二酸化炭素CO₂を排出しない、と言われている水素の記事を見た。普通に考えたら高校生レベルで十分にこのウソが理解できるんじゃないか。だって天然ガス(メタンガス)CH₄は炭化水素で、燃やしたら絶対にCO₂ができる。アンモニアNH₃に加工するにしても、エネルギーが必要になる。製造プラントがどんな規模になるのか専門ではないから詳細は分からないけれど、基本、原理はこれしかない。

水H₂Oを電気分解したらいいじゃないか、とか、実際に福島で大工場を建設してやっているから、そのアホらしさを見れば分かると思うのだ。天然ガス、メタンガスはそのまま燃やすのが一番効率が良い。わざわざ水素に加工したら経費がかさむだけだよ。余計にエネルギーが無駄になる。それに運搬、貯蔵にも危険が付きまとう。

液化天然ガスLNGはタンカーで運んでいるけど、水素のステーションとなると「危ない」意識があると思わないか。ヒンデンブルク号の爆発事故はあまりに有名だよ。その後、水素は危険ということになっている。金属腐食もあるらしい。使い勝手が悪いのだ。それがアンモニアにすれば安定するのか。いやいや、50年前の窒素酸化物、光化学スモッグの被害を思い出さないか。

それをワザワザ、公害物質にしてウソを練り上げるなんて、おバカさんもいい加減にしろと思うのだ。原料がメタンCH₄なら、どんなに頑張っても、どんなウソついたって二酸化炭素が出る。燃焼時に二酸化炭素が出ない、なんてよく言うな。このロジック、理屈が分からない日本人なんて、いったいどうしたことだろうと思わないか。人をアホにするのは止めろ。ということに尽きる。

問題は、日本人がどんなウソを搗いたって疑問も抗議もない事態になっていることだ。関心がない。「関係ない」とせせら笑う。恐ろしい現実よ。同じことは風力発電の低周波被害にもあって、環境省などの国の機関は被害を否定している。各地に見られる風力反対?運動では、「土砂災害」だの、「地下水」だのと言った言葉になっている。

海に風車を建てる時には「海底の砂が心配だ」というのだ。健康被害、風車病の言葉はどこにもない。そして肝心の風力被害者は迫害されて消されている。海外の風力反対運動との違いはこの一点にある。真逆なのだ。日本の風力反対運動は、実は本当の健康被害を隠ぺいするためのトリック、地域対策の一環として機能しているのだ。

奇妙な話よ。あたかも風力発電の低周波被害に遭って苦しんでいる人を見舞うのかと思っていたら、「あなた一人でしょ」、「薬を飲みなさい」などと言って吐き捨てるのだ。風力の手先が本業よな。地域の悪党と結びついて、「我々は土砂崩れが心配なんだ。だから風力反対だ」というのだった。この酷い弾圧が分かるかな。その他の環境運動家たちは「分かりやすい例えだからいいじゃん」という。

反対なら何でもいいでしょ、という。違うよ。そうまでして低周波被害、深刻な風力被害を隠ぺいする心理工作とは何たる悪党か。洗脳、情報操作、服従の心理作戦、それが全国展開している。由良町で行われた被害者の弾圧は、伊豆でも伊方でも、その他の風力被害地でも、まったく同じものだ。私は由良町の惨劇を見て、一人、抗議活動を決め込んでいるけれど、まだ誰も賛同する人がいない。

これも不思議だし、とても残念だと思っている。「聞こえない音が何で煩いのだ。アンタ可笑しいのと違うか」そんな揶揄いの電話が来る。由良町ではもっと酷い有様よ。被害者の谷口さんらは泣き叫んでいたで。地域の人たちと一緒になって、とか、地域対策の陰謀に呑み込まれていたけれど、哀れとしか言いようのない最期に人々は笑ったのだった。なぜな。これがこのページを書く理由にもなっている。

今も風力発電の有害な低周波で耳鳴りがするし、目まいのような体のしんどさに苦しめられている。風車病独特の症状だよ。性格の変化とか、精神的なダメージは、自覚している以上にあるだろう。うざいんだよ、という評価がぴったりする。それが日本社会の風土にぴったり合致したんやね。恐ろしい現実に、私は一人取り残されて嘲笑の的になっていた。風力裁判ではコテンパンに叩きのめされた。

国の権力機構として、こうまでして被害者を弾圧するんやね。それに対して、日本では誰も抗議する人がいない。考えもないし、言葉もない。哲学、フィロゾフィPhilosophyの欠落ということだ。もともと日本人にはこんな考え、価値観はないからね。ヨーロッパ人と話していて、すぐにその違いが分かったよ。アメリカとの違いは、言葉以上に考え方の違いであった。

仏教や儒教では、公害に立ち向かえないんだろうか。水俣や福島は、すっかり世界用語になっている。日本人の本質をついているのだ。ジョニーデップの映画『MINAMATA』は日本人には分からない。水俣市は拒否したというからね。いや、アフリカや南米の原住民でも風力発電に反対しているし、被害に抗議デモを行っている。人間として当たり前の生存権を言葉にしているのだ。

先進国だという日本に、なぜそれができないのか、それがとても悔しいと考える。キミはなぜ風力被害に関心がないんだい。もし君が被害者さんであっても、それを言葉にして言えないのかい。なぜなのか、一人で、静かに、よく考えてみないか。アイデンティティだという。他人の価値観じゃなくて、一人の人間としての権利を社会で主張しようじゃないか。

それでないとまたあの戦争のときみたいな悲劇になるんやで。風力発電の健康被害は、まさにその弱点を突かれたんやで。