風力発電という破壊

風力発電から発する有害な低周波は人の耳には聞こえない。風力発電が回っている時と、止まっている時の差は40dbもあって、対数表示だから10000倍もエネルギー変化がある。低周波測定器は、県の環境課、各大学、高専に配備されているから、測定して確かめたらよい。ただ、水俣と同じで、最新の測定器は使用してはならない、低周波を測定してはならない、とされている。

試しに和歌山高専や、長岡技大に電話してみたらよい。自慢の測定器を何台も購入して自慢しているんやで。その上で、測らないよ、と笑うのだ。タダの学校の先生なのに、一角の悪党になって、風力被害の否定に嬉々として笑っていた。倒錯した感情、国という体制派に属している偉ぶり、はどうだ。正義感も義侠心もない。

ナンやこれ? と私も笑ったよ。公務員の端くれだよ。それが被害者の弾圧に喜びを隠すことなく「ヘッ」と吐き捨てる。たぶん、各地の風力被害地で同じ場面が繰り返されている。いや、そもそも各地の自称・風力反対運動はエセだから、地域対策のトリックだから、低周波被害の言葉自体が消し去られている。土砂崩れが心配だ、と繰り返すだけよ。

平野にも海にも、風車が林立しても、被害地の人々に低周波被害の言葉はない。渡り鳥が心配とか、海底の砂が流される、とか言っている。人間が、低周波被害で健康を奪われて苦しんでいるのにさ。言葉にしたらあかんのやで。こんな理不尽な、国を挙げての社会破壊もないわな。と言っても、誰も抗議しないし、言葉自体が奪われている。

民主主義はどうしたんだろうね。それらの人々は恨みとか憎しみに一杯になっている。「すっかり出来上がっているなぁ」由良町に初めてきた環境運動家たちもそう言って笑っていたものよ。h24年5月、わずか半年の間に、人々はすっかり風力に支配されていた。被害者でさえな。「由良さん、アンタは門前地区で一人やったらよい。

私らは畑地区の人と一緒に頑張っていく」そう言って私を拒否して追放して喜んでいた。彼らは勝ったのだよ。私に対してだよ。仕組まれた心理操作なのに、体制派に組み込まれて、少数の被害者を黙らせる作戦に支配されてしまっていた。とても嬉しそうだったよ。やがて一人、また一人、と死んでいく。その憎しみは私一人に向けられていた。

個人の心理コントロール、社会操作なんて簡単だった。それほど私の悪口を言うことで由良町の人々は纏まってしまっていた。彼らは「アホよら、アホよら」と踊ってみせる。感情の爆発を抑えられなかったんやね。それを見た周囲の人も手を叩いて笑っていたものよ。私が、いかに彼らと敵対したか、これまで書いてきたとおりだ。

家柄自慢は鎧兜のつもりよ。実際、そうとしか思えない。人々は、簡単に理性の皮を脱ぎ去って、むき出しの欲望を見せていた。食欲とか名誉欲とかじゃなくて、憎しみだよ。それが何に対してのものなのか、分からないままにして、私や、被害に苦しむ人をターゲットにしていたのだ。生贄だったね。イジメ、差別の厳しい所だから大方の人はすぐに理解しただろう。

同和とか部落じゃない、新しい憎しみの的だよ。それで被害者は声を上げて泣いていたんやね。声にならない呻き声を上げて掴みかかられた。最後の断末魔だった。『風力発電の被害』に書いたとおりだ。深夜、被害の苦しさを言う電話が来る。受話器を置く。そしたらまた電話がかかってくる。何度も、何度もそんなことを繰り返した。そして死んでいったのだ。

誰かがこの被害を言葉にして伝えなければならない。それを見て笑う人がいる。由良町では誰もが楽しげに笑いものにして喜んでいる。私は村八分で嫌われ者だけれど、あの死んでいった人たちの苦しみを見れば、まだまだ私は生きている。警察の弾圧も何のことはない。汚い警官の嫌がらせに何度も遭った。それさえも人々には嬉しくてならないのだ。

とても政治にはならないわな。社会の崩壊、というよりは、風力被害で社会が強固に凝り固まっている。何でもできる素晴らしい町、に変貌していたのだ。それと人々のモラルの低下、道徳の喪失やね。テレビニュースには、広域で詐欺犯罪を繰り広げる組織的なグループが活躍しているという。このインターネットでも、フィッシング、詐欺のメールが毎日送られてくる。

安全安心の社会なんて、どの口が言うか。呪われた町。そうだね、風力発電が出来る町はそもそもそんなやり易い町だったのだ。有田川町の風力反対を見たけど、県の環境課は地元民を集めて被害を否定している。被害者たちは地域を追い出されて和歌山市などに転居した。麓の人は「フフッ」と笑っている。タブーなのだ。

ここでも土砂崩れが心配だ、という人がエラそうにものを言っている。それでそのアホがどんな立ち位置にいるのか分かるのだ。被害者に対する弾圧だよ。この意味が、日本人には分からない。日本だけ、「Stop wind turbines !」の言葉がない。全国で、本当に誰も言葉にしないのだ。人が苦しみ死んでいる。それを目の当たりにして、土砂災害だという。

まさに風力被害の象徴、シンボルよ。海外の反対運動とは正反対なんやで。君には分かるまい。海外の人から見れば、CRAZYとしか見えないことをさ。私は違うからね。何が悪くて、何が間違っているかの判断は必要だと思っている。