筍を喰らう

春になれば裏山に筍が出てくる。最近はイノシシにやられて、ほとんど食べられなくされていたけれど、豚コレラが流行っているとかで、イノシシが減っている。たまに来て荒らしていくけどね。筍がたくさん出てくると、蜜柑畑に侵入してくるので、どうしても切り倒さなければならない。

一人では食べきれないから、百円売り場に置いてみたりする。筍は全然売れないね。日本人の食生活が代わったのか、皮をむいて、わざわざ煮込んでまでして筍料理を楽しむ人はいなくなったようなのだ。母は、よく干して乾物にして利用していた。

切り干し大根みたいに、乾燥すると食味が代わって、それはそれで食材として、保存食として旨かったと思っている。孟宗竹の次は、淡竹が出るでしょ。淡竹はエグミもなく柔らかくておいしいので、無理して孟宗竹を食べる必要もないんだけどな。なんせたくさんあって、切り倒すだけで大変なんだよ。

それで今朝の産経記事には、発酵させてメンマにしているという記事だ。中華街へ行って食べるメンマとは違うだろう。私も試してみたけれど、巧く発酵しないで失敗した。ただ、塩漬けにするから日持ちがして、1か月ぐらいは毎日、タケノコ三昧の食卓よ。春は雨が多いから、日干しするのに手間がかかる。

塩漬けだと、残った塩水は漬物にして使っている。全国で竹林が放置されている。杉やヒノキの植林の中で、どちらも放置されたままの野山が荒れていく。経済社会の残骸よな。昔は建築素材として、重宝されて伝統工芸などと謡っていたものなのに。石膏ボードにクロス張りか。

そりゃ、ハウスシック症候群、化学物質過敏症になるわけだ。エツリをかいた土壁は、とても落ち着いて安心できるで。壁土に練り込む藁は三年寝かせて使う。新藁だと腐ってしまう。屋根瓦の下に敷く赤土にも同じ壁土を使う。日本の風土に合わせるのが一番だよ。食文化もな。あと少しすると蕨が出る。

これも乾燥して保存がきく。春は食材で一杯よ。さて記事には淡路島とある。10年前、淡路島の風力被害はすごかったと聞いている。風力事件もあったし、インターネットでたくさんの情報を発信していた。今はもうそんな人はいない。根絶やしにされたのか自滅していったのか、その骨を拾う人なんか誰もいなかった。

笑いものでもあるまいに。無視されてタブーとなったんだろう。全国の風力被害地で同じパターンが繰り返される。地域には非情な協力者がいて、ほくそ笑んでいるのだ。彼らはいつもの環境運動家と連携している。環境省とか、行政とか、キーマンになったつもりなのだ。原発の時と同じよ。賛成でも反対でもない。

タダの駆け引き、オチョクリの中で優越感に笑っている。悪魔やな。鬼やな、と私は見ている。「何と熱心な人よ」と、地域では言われているでしょ。中にはそのウソを見抜く人もいるだろうに。人の性格はそれほど変わるものじゃない。古くからその地域に住んでいれば、嫌でもそのことに気が付く。

「やはりダメやな」と気付くのだ。日本だけ、なんで被害者を迫害して人々は喜んでいるんだろうか。被害者が苦しみながら死んでいく。あるいは地域を追い出されて転居する。人々は、何が面白いんだろうと考える。笑い声をあげてアホにしなくてよいじゃないか。そんなに自分の感情を爆発させて見せに来なくてもさ。

風力発電は精神を破壊する。喜びの感情を抑えられなくなるらしいのだ。被害者でもな。顔を真っ赤にして「出て行けっ」と叫ぶんやで。私は、恨むというよりは、こんなものでしかないのか、と被害の実態を見ているだけであったのか。彼らは、どちらも私を嫌悪しているから、感情を扇動するカラクリがあるんだろうね。

単に私が旧家のボンだというだけでは、ここまで激しく叫ぶことはない。哀れなものよ、と見てきたのだ。オッと、あの谷口さんも最後にはその言葉を何度も言っていた。哀れなものよのう、と。それはご自分の事やで。日本人もさ、海外の事情を知る必要があるんやで。

少しググってみると、日本社会が、いかにウソに覆われているかよく分かるで。日本人は、すっかり判断能力を無くしている。思考を奪われているんやで。あの神風特攻隊、人間魚雷を知っているだろう。シャブを打って、興奮状態にして出撃した人もいると聞く。そして6000人ほどの若者を殺したというのだ。

誰も責任を取らない。世界ではCRAZYと言っている。風力発電の被害は、まったく同じ有様なんやで。英語が分からない、ではない。日本人の弱点、欠点なんやで。それを世界は見透かしているのだ。アホにされているだけよ。日本人は成長して大人になろうぜい。