水俣市の憂鬱

10年ほど前、毎日放送で、水俣病対策の研究施設で、実際は真逆の対策が行われていたというドキュメンタリー番組があった。「測らせてもらえないんだ」元研究員はそう証言してうつむいていた。私にも汚い仕掛けがあったことが分かる内容だった。ウィキペディアで、「水俣病」と検索してみると、なんとキレイに纏められていることか。

相当なカネと管理体制のあることが分かる。実際は、日吉フミコさんや、たくさんの草莽崛起があって、今日の水俣学にたどり着いたものと思っていた。今回、水俣市で、風力発電の健康被害について話してほしいと依頼されたとき、主催者側から「低周波は分かりにくいので土砂災害の話になりますから」と内々に知らせてきた。

私はピン、ときた。なんせ今、各地の風力反対運動では、どこも「土砂崩れが心配です」と言う様になっていたからだ。アホかいな、と思いながらも、シンポジュームに参加した。シンポジュームのチラシは、私のページでは使えるものではなかった。「風力反対」という言葉はどこにもなく、「考える」という言葉が繰り返し書かれていたのだ。

「風は誰のもの」というのだった。環境運動家の言葉よな。やはり土砂崩れの話が30分ほど延々と続いた。風力被害の話はどこにもない。私にはこのシンポジュームの意味が分からなくなっていた。あとで質疑応答の時間にも、多くの参加者が「とても良い話でした」と土砂崩れを称賛していたのだ。私は40年前の、国が箱モノを作って、水俣病を隠蔽する仕掛けを思い出していた。

そのことで、さらに被害者が広範囲に苦しむことになる。ウィキペディアに書いてあることは隠ぺい工作の結果論だ。加害者の論理よ。今回も同じやり方になっていることに、思わず笑ってよいのか、困ったと考えこんだものよ。最初から、風力発電の被害は、水俣病と同じ仕組みだ、と感じたとおりだった。しかし、これも人集めの方便かもしれない。

10年前の風力計画では、彼らは見事に白紙撤回させている。県や国は、中止ではなく「休止」としているのだ。今回が2回目なら、3回目もあるだろう。被害があると分かっていながら風車を建設して、被害者を弾圧するのが風力発電の正体なのだ。由良町を見れば分かるでしょ。しかし記事にあるように、こんな人が地域では尊敬されて、先生、先生と敬われているのだ。

汐見文隆医師なんかはコテンパンに迫害されてボロンチョだったよ。でもまぁ、振り返ってみると、名前を残した人は、それなりの人だけだということもよく知っている。御用学者や提灯持ちは、たとえエライ地位にあったとしても、だれも見向きもしない。本当は皆さんも分かっているんや。それで2回目のこの風力反対運動も、前回同様に白紙撤回されるだろうと予測している。

水俣学を謳う先生が、土砂崩れだという。10年前の毎日放送の通りになって再現されたのだ。海外では、各国で「Stop wind turbines !」と言って人々が抗議している。ところが日本では私一人が「風力発電を撤去せよ」と言っている。誰も風力被害の言葉を話せないのだ。水俣病にも、そんな場面があったと思う。これが被害の本質なのだ。風力発電に反対しよう。風力被害に抗議しようではないか。