恐怖の風力発電

「protest wind farm」、「kein windpark」、「contre les éoliennes」と英語やドイツ語、フランス語で検索して見ると、ドッサリと風力反対運動が出てくる。個人的な被害の訴えもたくさんあって、日本とはなんと違うことよ、と驚くのだ。この過激な風力発電に対する嫌悪、拒否は何だろう。日本人には何のことか分からない。

日本にもさ、自称・風力反対らしきものがある。「考える会」と言ってみたり、自然保護団体だとアピールしたりと、特殊な人の集まりになっている。由良町でもそれがあって、普通に考えれば、オカシイじゃん、と分かるはずなのだ。例えば谷口さんの記事を見れば、被害者が苦しみ死んでいる現実に、なんで人々が小金を貰って喜んでいるのかと思わないか。

そこには添付の、海外の抗議デモらしきものは一つもない。被害隠ぺいの弾圧でしかないことは他の報告書を見ても分かるだろう。水俣や福島の被害と同じなんだよ。地域ぐるみで被害者を黙らせてしまう。ジャーナリズムはないのかい。海外にはたくさんの風力デモの記事があるで。私は村八分だから人々との会話はない。

嫌悪の眼差しに遭うと、毒気に当てられた、と肩をすぼめて逃げている。それがまた人々には面白いらしいのだ。風力被害者に対する否定、弾圧の面白さよ。こうやって谷口さんらは悲しみを抱えて殺されたんやな、と振り返る。たぶん、今もあの地域だけで50人ほどの低周波被害者が苦しんでいるはずだ。

h24年の当初の時の、3人、4人、と捜し歩いた頃とは違う。300人ほどの住民がいて、珍しくとも何ともない。私の住む門前地区には400人が住んでいる。私だけがこんなに風車病に苦しんでいるのか。違うな。他にもジッと黙り込んでいる奴がいる。実際に脳梗塞でバタバタと倒れていったこともあるから、ヒヤヒヤものだろう。

私も酒でゴマカシているからね。いつまで生きられるやら。私はこんな被害の現実を毎日書いているから、見ている人がいるんだよ。一般人は誰も見ない。近所の百姓なんか、私が毎日ゲームをして遊んでいると言っている。それはいったい何のゲームなのか? と聞いてやったところ、「知らんよ。みんながそう言っている」と言うばかりだった。

何度か同じ話を聞かされる。私を取り囲む誹謗中傷。仕組まれた罠だ。しかし彼らはその破壊ゲームが面白くてならない。被害者を弾圧して笑いものにする。社会が、人間関係が、すっかり破壊されているのに、それが嬉しいのだ。このメンタリティよな。私に対する「憎しみ」と「蔑視」、操られる人間模様。

コントロールされた被害地の有様に、人々の喜び躍る姿が繰り返される。いつか気が付く人がいてもよさそうなもんだけどな。東北や北海道では、もっとたくさんな風車が林立する中で人々が暮らしている。そこでは奇妙な風車愛好クラブが盛況で、人々はとても幸せそうだ。魔法の国だよ。不思議の国のアリスとか。

カルト宗教となった地域社会のオゾマシサよ。由良町も同じことか。誰一人として低周波被害、風車病の苦しさを訴える人はいないからね。ヨーロッパやアメリカの風力反対とはエライ違いだよ。【欲しがりません勝つまでは】、【一億玉砕】、まるで太平洋戦争の全体主義じゃないか。日本に民主主義はなかったんや。

今の季節は田んぼの仕事をしているけど、今年はマムシがもう4匹もあった。殺しても最後までかかってくる。首を切り落としても、首だけ転がってくる。牙が不気味に尖っている。そのうちに噛まれるだろうね。昔は噛まれて死んだ人の話を聞いた。この数年、毎年のようにたくさんのマムシを殺している。他の地方でもそうなんでしょ。これも温暖化のせいか。

白人でも黒人でも、日本人も、人間的な感覚はみな同じよ。暑い寒い、辛い甘い、映画を見たらストーリィに感動する。じゃぁ、添付の彼らの過激なデモは何やねん。日本人には、なんでこんな感覚がないんや。国策かいな。さらなる再エネの推進かいな。お国のためにと言う。太平洋戦争やっているんやないんやで。

我々日本人も人間性を取り戻そうやないか。権力や情報操作、スパイ工作員に負けたらアカン。風力発電は、自滅政策やで。残念ながら谷口さんらを虐待して殺したことは重い十字架と見る。その重さを笑いに転化して風力被害を否定する被害地域の異常を見よ。添付の風力反対デモと、日本のエセ反対と、どちらを取るか。

答えは明らかなんやで。被害者を否定して死んだら笑って喜ぶ。目も当てられない現実に、NO、止めろ、と言おうじゃないか。