風力発電のウソに騙されるのは止めよう。

世の中には詐欺にあって騙されているのに分からない人がごまんといる。1次産業の農業でも、よく考えてみると、すっかり騙されている現実がある。JA農協や青果市場、コメ相場、その隙間で流通するバナナやアボガドの繁盛よ。食料自給率と言うけれど、そんなものあって、ないわな。フランスやドイツ、アメリカと比べると、日本の農業の不思議さがはっきりする。

どちらがよい、というつもりはない。各地の百姓はそれなりに頑張っているんだろうから。ただ、農業は採算が合わないね。いくら働いたって、赤字になっては生活が成り立たない。土方仕事などの副業するしかない。これまでそうしてきたし、何とか生活を維持するために無理してまで出稼ぎとか、補助金でしのいできた歴史を思う。

今は出稼ぎが減った分、外国人労働者で埋め合わせをしていると聞く。社会のバランスよな。その一つが地方の風力発電になっている。初めから健康被害のあることが分かっている。リスクの受容義務がある、という。なんで? と被害者になってみると納得のできない論理に目まいがする。家業である農業一つとっても、外国とはこうも違うのだ。

パンなんか食べるなよ。と思いながら私でもドーナッツなどの菓子パンが大好きだ。トーストで食事を済ます人も多いからね。百姓が、朝からパン食していたら助からんわな。小麦は、米の価格の1/3程度だ。とても太刀打ちできない。ウクライナの小麦が、どれほどの価値があるのか分かるだろう。百姓自体は貧乏だけどな。

それで海外の有様を見て、日本の地方の人々の無抵抗な受容、騙されっぱなしの現実に気が付くのだ。77年前のあの戦争、大本営発表の大嘘よ。新聞やラジオはウソばっかしだったでしょ。反省なんかしようもないわな。水俣や福島の被害を見ても、同じことの繰り返しでしかない現実を見ないか。人権の軽いことよ。

日本国憲法なんて上から与えられたものだから、日本人にとっては苦労してとか、革命を起こして得たものではない。意味が分かる人はいないんじゃないか。とくに田舎の百姓はな。明治維新は、しょせん士族の反乱の成果だったと思えてくる。15代の徳川慶喜の悪口はよく聞くけれど、よく役割を演じたやないか。見事というほかない。

初代総理の伊藤博文が貧しい百姓の出であったことも面白い。彼の愛刀を刀剣会で見せてもらったことがある。備前一文字のずっしりと重い打ち刀よ。1㎏以上ある。私の腕では振り回せない。たぶん制作されてから実戦で使ったことはないだろう。あっせんの才があったというから世渡りがうまかったのだ。由良守應と付き合いがあったと聞く。

世の中には裏と表があって、歴史に出てくる逸話だけが真実ではない。言ってはならない禁句があることを知る。それを知ってどうなるものでもないけどな。それにしても今、各地で行われている風力発電のウソには驚くしかないのだ。明治維新のトリックも大したものだが、国を挙げて嘘八百を繰り広げる再エネ推進の罠には、日本人は誰も反対できないでいる。

蛇に睨まれた蛙の末路よな。私は、言ってはならない言葉を主張したために総スカンを食ってきた。「禁句」であったのだ。慶喜のように、アホ役を演じていれば良いものを、これも南朝方で滅んだ先祖の遺伝子のせいだと考える。家柄では負けない。ウソに塗れて糞だらけの人生なんかまっぴら御免だよ。

環境省が、風力発電の低周波被害について書いていることはすべて嘘であり、各地のエセ反対運動が語っていることはその焼き直しでしかない。学者たちは環境省と全く同じ内容を謡っている。そんなものを信じて土砂崩れだ、地下水が~と繰り返す環境運動家のアホさが分からない日本人とは何者か。

環境運動とは名前だけで、環境ビジネスの地均しをしているのだ。被害の否定、被害者の弾圧が目的だ。あたかも心配するフリをしているけれど、これまでの経過を見れば、誰一人として「Stop wind turbines」の言葉はなかったでしょ。被害者に寄り添い、思いやりを行動することなど一度もなかったのだ。

h18年の東伊豆町の風力被害からすべてそうだよ。この事実をまず押さえれば、その後のエセ反対運動がいかに偽物で地域対策のトリックでしかないことが分かるだろう。風力発電は精神を破壊する。風力被害者の悲惨な末路を見ただろう。あんなになって狂うのだよ。それを手を叩いて笑って喜ぶなんて人のすることじゃない。

止めろ、と私は言い続けている。全国のエセ反対から敵視される所以だ。由良町では、もちろんボロクソだよ。慶喜顔負けよ。海外では当たり前になっている風力発電の被害を知ろう。外国の百姓だって、そう大したことはない。差別意識でいっぱいだし、ウソも付く。それでも風力発電の面的な低周波被害の広がりに、地域社会が敏感に反応する。

日本は真逆になっている。役場や農協の汚い策略に、人々は喜んでひれ伏しているのだ。被害者に対する憎しみ。なんでそうなるのかと笑えるんだが、田舎者とはそんなものでしかない。被害者を悪者と言えば悪、可哀そうと言えばヘッと笑う。田舎社会の実態が露わになる。風力被害は自業自得となっていた。自ら進んで被害を面白がっている。

ワシらは面白うてならんのや、と笑う。地獄に落ちろ。これだけ国際社会が近くなったのだ。海外旅行に行く人もいるだろう。何で行くんだろうね。外国の風景を見て、こんな所によう住むな、と優越感に笑う人もいる。じゃぁ見るなよ、と言いかけて口を噤む。反動はきっとある。

日本だけ、被害者を弾圧して喜んでいる。これは社会の破壊やで。アカンで。一度転落したら、もう元には戻れんけどな。