被害者に対する弾圧の悲劇

戦時中のゾルゲ事件のことが書いてあったので、つい読んでしまった。この新聞社独特な表現だから、一歩引いて、歴史的事実だけを見る。私はs34年生まれだから当時のことは直接知らない。しかしまだ憲兵たちは生きてエラそうに暮らしていた。懲りない面々よ。

各地には同じようにして憲兵の悪さを語る人がいた。何だったんだろうね。戦争には行かないで、内地の治安にノサバッテいただけなのにさ。この記事をアップした理由は、日本政府の嘘八百が書いてあったからよ。ヘンやな、オカシイな、信用できない、と感じていた人が多くいた。

実際に本当の情報を持っていた人もいただろう。なんせ中国大陸などには世界のジャーナリスト、スパイ工作員が跋扈していたんだから。当然のように秘密はバレるわな。ドイツでもそうだったけど、最後の日まで、ウソのプロパガンダは繰り返されていた。

絨毯爆撃に二発の原爆投下。それさえも秘密にされていた。バレバレなのにさ。同じことが風力発電にも当てはまる。これが日本のやり方かい、と書いてきた。当初から、というより世界的には風力発電の被害は分かっていた。すでに新聞や雑誌の記事になって、世界中をめぐっていた。

今ももちろんそうなっている。ところがだよ、不思議なことに日本だけ、それがない。もちろん風力被害に苦しむ人がいるから、世界の風力被害地と同じく、反対・抗議運動が起きてもよいハズだ、と考えている。そうなっていない所が日本のミソだよ。

被害者に対する日本人社会の差別行動が特異なのだ。あのドイツでもさ、それこそ各地に風力発電反対と狼煙を上げている。それを日本の行政、政治家、環境運動家は、「ドイツでは上手く行っている、ドイツに習え」と繰り返す。私はドイツ語が少し分かったので、アレッ? と思ったんだよ。

それですぐにその人がタダのオウムなんだと理解した。風力の手先、スパイ工作員の典型だとな。「土砂崩れが心配」というフレーズも、ずいぶんと全国に広まっていた。由良町でもh20年の地元新聞に土砂災害の危惧と書かれているし、h24年の風力被害者に対して区長が「土砂崩れが心配だ」と謡っている。

この新聞記事と同じことを地域の有力者たちは言葉にして被害者を弾圧していたのだ。地域の人々はもちろん知っているよ。それでも実際になると、ホントでもウソでも何でもよいのだ。面白ければ笑って喜ぶだけのものであった。

たとえそれが被害者であっても、涙を流して泣き叫んだとしても、結局は風力被害を訴える私個人をボロクソにこき下ろして喜んでいたのだ。「私たちは風力発電には反対ではありません」とな。もう間もなく死のうとする被害者が、わざわざ私にその言葉を告げにくる。

何のために? すっかり出来上がっていたのだった。少し長くなるが、2019.2/7日のページに、被害者を集めて洗脳支配する様子をアップしている。聞きづらいが、とても重要な証言が各所にある。すべて分かった上で、被害者は閉じ込められて人間性を奪われていたのだ。

私には悪党の姿がよく分かる。彼らは、面白くてならなかったのだろうね。畑地区のアンケート調査も、実に極秘に行われた。東伊豆町や南伊豆町でも同じ調査が行われた。東大の研究室が取りまとめているから国としての方針だろう。被害隠ぺいの秘密がここにある。

恐ろしいワナが隠されている。死んでいった被害者の名前が語られているから聞いてみたらよい。これを悲劇(喜劇)と言わずに、なんと言うのか。風力発電の有害な低周波は人の耳には聞こえない。風車病は内耳の器官の損傷だから、外見は、見た目では何も分からない。健康そうじゃないか。

何を可笑しなこういうのや。そうやって笑いものにされる。そう言って人をアホにして喜ぶことが、実に楽しいのだ。虐待。優位になる。被害者が苦しむほど、人々は面白くてならない。海外の風力反対運動、抗議デモとは何たる違いよ。これが日本人の姿かい、と書いてきた。

我家は旧家で武家である。私は最後の一人だけの生き残りだから、とくに自分の在り方に気が付くことになった。アイデンティティという。それじゃ周囲の人は人間じゃないのか。敵でしかなかったなぁ。風力被害に苦しみ泣いている奴でもな。逃げ出せばよかったものをさ。

「北海道ではちゃんと反対してますよ」、「我々は着実に反対運動を進めている」そう言いながら御用学者を担いで低周波被害を否定しているんだから、どの口が言ってるんやとアホらしくなる。誰も風車病の核心を語らない。被害者、被害地域の惨状を訴えない。環境運動会を楽しんでいるのだった。

最近は政治家の参加が目立つ。カネと票しかないのに、さらに災厄を積み重ねる。よっぽど風力はカネになるんやろうね。太陽パネルでもカネにした人は多いだろう。産廃のエセ反対運動と全く同じパターンやね。それでもさ、中には真実に気が付く人もいると思うのだ。

私の悪口だけではなく、何が悪いのか、何が間違っているのか、聖書を読むようにして理解する人はいるだろう。これまでの古ぼけた年寄りは捨てたらよい。新しい人が、新しい社会を目指して風力被害の惨劇を明らかにしようじゃないか。悪党たちと戦おうぜい。