風力発電に踊るだけ

今朝の記事を見れば、日本がいかに政治の機能しない特殊社会であるかと思わないか。h7年1/17日の阪神大震災の時、私は大阪にいた。すぐに由良町の実家に電話して、築百年のオンボロ農家がまだ立っているのかと聞いて確認したよ。少し南側に傾いたようだ。隙間風が入るようになった。夏はそこから蚊が侵入する。

シロアリに何度もやられているから、そのうち対策が必要になる。親からは、オマエ一代は大丈夫だから触らんとき、と言い置きされている。なんせ生まれ育った百姓屋は住み心地がよい。今65才だから、なんとか最後まで持つだろう。さて風力発電の低周波被害だ。最近はあまり音がしなくなったけど、有害な低周波は相変わらずにやってくる。

頭を踏み潰されるような気持ちの悪さよ。先日は耳の中が腫れ上がっていて、中耳炎にでもなるんだろうかと心配した。耳垢が溜まる。カーッ、と熱くなって痒くなる。風力被害者なら皆さんお馴染みの症状だよな。h24年の最初から、ジャーナリストたちは「あの人たちはいったい何者で、何を目的としているのか、それを知ることがまず先決でしょ」と伝えてきた。

知っていたよ。風力発電とセットになって、地域対策が準備されていた。「考える会」、自然保護団体、環境運動家、いろんな悪党が集まっていた。畑地区の被害者の中には、「あんなもの」と言いながら連絡を取り合っていることをほのめかす人が多くいた。それぞれに対策されていたのだ。私は地域に根付いた百姓だけれど、環境運動家たちはそれこそ天から降って湧いた悪魔のような天使であっただろう。

心配して、構ってくれるんや、と誤解?かなんかしたはずだよ。あれから10年が経つ。今はもうそんな悠長なことはしない。なんせ低周波被害が言葉として存在しない。政治決着しているのだ。公明党の信者が低周波被害に苦しんで、代議士に相談した。アカンで、とアドバイスしたのに、ボロボロの結末を見た。谷口愛子さんも同じ結末だった。

選挙を共に戦ったらしいのに、肝心の必要な時には破壊的な裏切りを見せられたものよ。そのダメージは大きかっただろう。町長なんか同級生の自慢の友達だったからね。私も笑ったよ。政治が、全く役に立たない瞬間だった。環境運動家、ってさ、風力発電の周りで踊っているだけだよ。面白半分、オチョクリなんだよ。その現実、やり方を見ている人は多いだろう。

彼らの全国大会の記事は、ほとんど読まないけど、我家に来たジャーナリストも参加していて、意味不明なトリックの世界になっている。誰も批判しなければ、新しい人が意見を言うこともない。もともとがウソだから、何を言っても無駄なことだけどさ。虚無、ニヒリズムというのか。田舎の地方に次々と建設されるのに、その地域の文化とか伝統には一切言葉はない。

すべての言葉は飾り物で、ありきたりな地球温暖化とかサステナブルの受け売りの言葉で埋め尽くされている。どこかで聞いたフレーズばかりだ。アッそーか、環境省の報告書に沿ってしゃべっている。御用学者がロジカルとか言いながら描く、難解なウソ論文と同じ内容だ。水俣病の時にもありましたなぁ。アミン説、ウイルス説とか。同じやり方だよ。

それを滑稽だ、という人はいない。誰も分からない所がミソよな。ピエロ、道化者の集まりで、被害の意味を剥ぎ取ってしまう。罪深い役者たちよ。前ページでは三井造船の工場で被害に遭う地域の様子を書いた。まったく畑地区と同じだ。その隣にある、私の住む門前地区でも同じことだ。被害者は私だけではあるまいに、絶対に風力被害の言葉はない。「風力の被害など聞いたこともない」と言っている。

心に深く摺り込まれた呪いよな。全体主義、ファシズムという災厄よ。人々はとてもうれしそうだよ。私一人が、それは違うよ、と言っている。たぶん、どちらも正解かもしれないね。彼らはそれで正義を謡っている。「アホよら」、という言葉は共通の合言葉だ。私のことだよ。初めから、そのアホ役をやってやろうと思っていたからね。

実現しただけのことだ。それが全国共通の価値観にまで昇華している。各地の自称・風力反対に私の入り込む余地はない。完璧な仕上がりだ。土砂崩れだ、地下水だ、という。「OFFSHORE NOTONSHORE」というからね。筋書き通りさ。みんな知っていることだけどさ。海に作れ、と言っているんやで。余計な意訳かな。風力被害地の実態を見てみなよ。

水俣や福島と同じやで。誰も言葉はないんかい。世界的には結論はとうに出ている。金儲けのダシ、被害地の弾圧管理、支配技術、こんな所に住みたいか。自然エネルギーじゃないんやで。嘲りと破壊しかないんやで。社会の破壊が、こうも簡単だったとはな。誰も止められないのか。STOPの言葉はないのか。