風力発電の悪の目的

h18年の東伊豆町や伊方町の風力被害を経て、由良町でもh20年には16基の風力が山々に建てられていた。隣町の広川町ではすでに風力被害が出ていて汐見先生が『左脳受容説』として書いている。近くの下津町大窪地区の風力被害は有名だったのに。つまりな、何もかも分かっていて、役場や県はやっていたのだ。もちろん風力業者もな。

由良町ではその上に、さらにh23年に5基の風車を建設している。懲りない、というより狂気の果てだろう。それほど被害に遭って苦しみ死んでいく人が面白かったのだ。私は、たまたま役場に出入りする議員になっていたのでその現場を見ることになる。被害者の依頼を受けていたから、どちらを取るか、なんて迷いはなかった。

誰も言えないのなら私が言ってやろう。強行突破だと思っていた。分かり切った簡単な公害だから、すぐに解決に向かうだろうとの予測もあったし、r5年の今、こんなに被害者が消されて、風力被害が否定されてしまうなんて思いもしなかったのだよ。初めからボロボロに弾圧されて虐められ続けたけどな。味方してくれる人が誰もいない。

これには困ったよ。どこでもそんなものらしい。だから全国の風力被害地では、誰も風力被害を言葉にできないんだね。土砂崩れとかさ、洪水の心配は、それは治山治水と言って防災事業やで。国や県の防災事業に話をすり替えているだけのトリックだよ。環境運動家、「考える会」、彼らは何者で、いったい何を目的としているのか、とジャーナリストたちは伝えてきた。

地域対策だったんだよ。各地の被害地でも同じパターンだったから、すぐにそのことに気が付いたんだろう。バレバレよな。それでも行政や業者と一体となった彼らのプロパガンダは徐々に浸透していく。被害者は藁にもすがりたい必死の有様だったからね。泣きながら死んでいったんだよ。それをまた面白いと言っては手を叩いて笑ってみせる。

なんというグロテスクな光景よな。それは地域対策として刷り込まれた呪いだけではない。もともと人々にあった憎しみの感情に、人は進んで喜びを爆発させたのだよ。クルクルッ、と回ってジャンプして、踊って見せてまで嬉しかったのだ。アホよら、アホよら、と笑っていたよ。役場でも、地域でもな。これまで普通に話していた蜜柑を作っている百姓がそれをやる。

キャベツやレタスを作っている百姓がそれを言葉にする。瞬く間に人々の意識に現れた現象であった。それは今も変わらない。継続して同じ話を聞くから、常に風力被害を喜ぶネジを巻かれているんだろう。中には被害に苦しむ人がいるだろうに。いや、癌や脳梗塞になった人に何度か話したけど、彼らは「関係ない」と憮然と言っていた。

癌はすぐに死ぬけど、脳梗塞はアカンね。ヘンな人になって見苦しい。もともとが可笑しな奴だったんだよ、と人々の笑いものよ。私も笑うよ。アホよらと。風力発電はさ、もともとが何の意味もないんだよ。妄想、ファンタジーだよ。たまに風力発電の根元まで人を案内しているけれど、この風で、この大きな風車が回ると思うか、と聞いてみる。

さすがに近くによると轟音を立てている。気持ち悪くなる。初めて案内された人は言葉もなく、なんと言っていいのか分からない。思考停止のようだ。スパイ工作員かもな、とふと思いを巡らす。これまで誰も風力の正体を言葉にしたものはいなかった。なぜなんやろうね。風もないのに風力発電が回っている。一般の外部電気で回している観光風車でしかないんだよ。

架空の風力発電ゲームなのさ。これだけの巨大な風車を回すには、家庭用などと違って高圧電源を大量に消費するだろう。目的も理由もはっきりしている。電気が有り余っている。そしてこれがカネになる。被害者を生贄にして支配を強めるのだ。これを悪意と言わずに何というか。各地の役場、行政組織では、なんという几帳面さで被害者を虐待したことか。

社会福祉は、見事に逆転していたのだ。それが公務員さんには嬉しかったんやね。それが本音だからこそ、嬉々として谷口さんら被害者を罵って笑ったのだ。2018.1/20、1/22日のページにその時の録音があるから聞いてくれ。事実だよ。それをさ、たくさんの被害者が出席して聞いているのに誰もが無視するんだよ。集団ヒステリーだよ。催眠術と同じだったね。

被害地域になると、こうも人々は思考を奪われるのだ。ヒツジにされるんだよ。風力発電の実際的な目的は何だろう。改めてその理由を考えてみないか。畑地区で、あれだけの被害を見ながら人々は「風力の被害など聞いたこともない」と吹聴している。役場に聞いても同じ言葉が繰り返される。前記の東伊豆町でも伊方町でもな。

今では記事を書いたジャーナリストは固く口を閉ざしている。生活が大事なんだね。日本だけ風力被害の記事がない。海外なら普通に各地の抗議運動がニュースになっているのに。新聞やテレビのオゾマシサよ。いったい誰が風力発電をやっているんだろうか。と最初の問いに戻る。各地では盛大にエセ反対運動をやっている。

被害を否定する御用学者を担いで、最近では政治家が参加して、何やら意味不明の言葉を口にする。被害者がいて苦しんでいるのにさ。それですぐに、アッ、ニセモノだ、と分かるのだ。そう思いませんか。どうせ参加者は自然保護団体とかさ、グレタさんみたいなばっかりだから誰も分かることはない。環境運動をしているんだよ。それが目的さ。

日本でも、世界基準の価値判断を持たないか。人類普遍の道徳、倫理観をもって、風力被害の結果を見ようじゃないか。人間として、環境運動と被害に、どう判断するのか、答えはそこから見えるだろう。風力発電の低周波で苦しくてならない。当たり前な被害を訴えられない日本てさ、異常事態なんやで。