勝ち誇る人々、殺された人たち

前ページでは、「知る」ということがどんなに大変なことか聖書の初めに書かれていることを示した。日本流にいうと「寄らしむべし、知らしむべからず」と言って真逆であることを添え書きした。民衆には何も説明はいらない、信頼させておくことが大事なんだというのだ。たぶん中国の儒教思想だろう。

四書五経と言って、これが日本人の精神的なテキストになっている。学校でもさ、古典の時間だけでなくって、国語の授業にも同じ『論語』が使われていた。これが日本人の根底にある。中国人たちが我家に来た時、論語や孔子のことを聞いてみる。エリートさんたちだから実によく知っている。

自信たっぷりに教えてくれるのだ。レベルが違うな、と初めから分かったよ。夏目漱石が愚痴っていた言葉を思い出す。英文学は、いくらやってもイギリス人にはかなわない、とな。今朝の産経には、戦時中の「知っていたか」を書いている。ドイツ人は今でも「知らなったんです」と言っている。

日本では、我が家のような田舎の百姓でも、この戦争はオカシイと知っていたと聞く。最後にグラマン戦闘機が来て爆撃したから、ダメ押しみたいなものだった。あんな戦争で死ねるかよ、という言葉を聞いている。大本営発表などと、ボロボロだったのだ。それでも憲兵たちの偉ブリようは各地にも伝わっているだろう。

戦時とはいえ、何だったんだろうね。彼らが反省とか、間違っていましたとか、聞いたためしはない。すべては「お国のしたこと」なのだった。理想も八紘一宇もないわな。風力発電の被害では、被害に遭ったらどんな苦しみに襲われるか、誰でも分かっている。h18年の東伊豆町の人たちの情報発信は全国にその災害を伝えた。

南伊豆町でも同じ被害があった。週刊誌の記事になったから、全国的なニュースとして今に残っている。ハズ、なのだ。ところがいつの間にかそれらの人はいなくなって、代わって、環境運動家というスパイ工作員が各地で被害隠ぺいの活躍をする。由良町はh23年だから格好の標的にされたんやね。

たくさんの環境運動家の話を聞かされたよ。嘘八百であった。そんなウソ話に、当の被害者たちは簡単に騙されていく。あるいは死に絶えていった。悪魔の所業であったよ。たまたま畑地区に谷口愛子さんがいて、風力被害を訴えていた。その声を聞いて誰か助けようとか言う人がいたか。

2018.1/20、1/22日のページに録音があるから聞いてくれ。被害者は他にもいたのに、誰も助けなかった。黙らせるために弾圧したのだ。苛め抜いたんだよ。私もたくさんやられているからね。その悔しさがよく分かるんだよ。人々の喜びようよ。これは事実、今もそうだからね。かちほこっているんだよ。驚くしかないわな。

風力被害者の死は自然死なのか。そんなことあるはずはない。世界では「Stop wind turbines !」と言って烈しく抗議デモを行っている。これが世界基準だ。「知る」ということがこれほど人間に必要なことであったのかと思い知る。ところが由良町では「関係ない」と言っては人々は勝ち誇っているのだ。

この落差に目まいがする。どうやったら、周囲の人に被害の深刻さを伝えられるのか。結果として、誰も私の訴えに耳を貸す人も味方する者もいなかった。憎悪の連鎖だよ。私はそんなに憎まれることをしたんだろうか。しかし人々の嘲り、憎しみは止むことはない。

宗教的な、イデオロギーというべきか、人々に刷り込まれた感情の深さに、どうすることもできないできた。亡くなった被害者の家族なんかさ、こんなものかいな、というほどサッパリしたものよ。迷惑でしかなかったのだ。たぶん世界でも特異な現象だろうと考える。あの戦争の時も、こんな感じだったんだろうか。

自爆攻撃までして若者が殺されていたやないか。crazyと世界では言っている。その意味を我々日本人は噛みしめるべきだ。かつて原発建設では原発音頭を踊って人々は祝っていた。風力踊りでは、「アホよら、アホよら」と笑いながら手を叩いてクルクルと回っている。何がそんなに嬉しいのかと悲しみさえ思うのだ。

こうまで人は転落するのだよ。日本人も風力発電に抗議しないか。行政や政治の闇に気が付こう。風車の発する低周波は有害なだけでなく、詐欺であり、悪魔の所業であることが明らかではないか。各地のエセ反対運動のウソを見破ってもらいたい。風力発電を撤去しよう。