「知る」ということ

由良町の風力被害では、それぞれの被害者はともかくとしても、社会として、異常な行動、理性を失っていく有様を書いてきた。私は、最初は簡単に考えていたんだよ。被害は明らかだから、行政や、あるいは政治的な判断が行われるだろうと。最近やっと聖書、創世記のアダムとイブの楽園追放の意味が分かったよ。

日本人は聖書を読まないからね。ピンと来ないかもしれない。この話は有名だから誰でも知っているだろうけれど、その深い意味までは、どれだけの人が知っているだろう。実にフィロゾフィPhilosophyじゃないか。知恵の果実リンゴを食べたという。食べてはいけないという命令に逆らったのだ。そして「知った」のだった。

人を支配する力に逆らったらあかんわな。つまりな、風力被害に遭って、苦しいと訴える。その人は「知った」のだよ。非合理な弾圧が加えられる。目の前で、同じ被害に苦しむ人が死んでいく。それでもこの社会が楽園だと思って逆らえなかったんか。谷口さんは最後まで苦しんでいた。東京に逃げていたからね。

帰ってこなければまだ生きていたかもしれないのに。アップルコンピューターのロゴマークはリンゴの齧ったデザインだ。知恵を得る、ということか。西洋人には分かりやすい。しかし日本人には、おそらく分かるまい。私だって、やっとその意味が、そうなんだと腑に落ちたのだよ。アメリカ人に比べて、その利用は格段に低いと見ている。

日本人は検索しないし、真実を求める意志が少ない。ウィキペディアを簡単に信じてしまう。由良町の人が、とくに特殊なのではあるまい。由良町は人口5千人ほどの田舎町だ。21基の風力発電の周囲には、広川町も含めて千人ほどが住んでいる。一般に言われる確率的には1~2%の人が重症の風車病に苦しむことが分かっている。

私はその一人だ。10人ほどの被害者と話したけど、それはもう大変な最期だったよ。それを周囲の人たちは見て、聞いて知っている。私は新聞の折り込みチラシに入れて二度も配布したし、自分で足を運んでは資料のコピーを渡して説明したものさ。だから人々は何も知らないなんてことはない。「風力の被害など聞いたこともない」というのは、どえらい嘘付きなんやで。

由良町という権威、私には全く信じられない概念なんだが、人々は運命とか、服従とか、支配者への合理的な支持者となっていた。強制ではない、自発的な隷属に嬉々として従ったのだ。アンドロイドだよ。「風力はワシらのもんや。オマエラ関係ない」とさ。バチカンの教会には天地創造としてアダムとイブの壁画が大きく描かれているんだとか。

なんで神の教えに逆らった人の末路が描かれるんだろうね。「知る」ということが、どれだけ人間に過酷な運命を与えることか。日本人として、そう感じませんか?日本なら「寄らしむべし、知らしむべからず」だろ。「由良町、風力発電被害」と検索すると、私の記事があった。なかには風力被害を言葉にして言えない空気になっている、と上品な表現もあって笑ったよ。

「土砂崩れが心配」よりもマシか。冗談じゃない。被害者に対する弾圧だよ。凄まじい暴力を加えられたから、こうして毎日記事を書き続けている。誰かが真実を伝えないとな。たしかに低周波は自然界にどこにでもある現象だ。しかし風力発電の発する有害な低周波は、卓越した被害成分があって、激しく空気振動しているのだ。

気圧変動だから逃げることはできない。地震や雷と同じ効果があって、人に緊張感を持たせる。これが精神的なダメージとなって、性格の変化、脳梗塞や癌の病気に繋がっていく。「Pathway to disease」(風力発電は病気になる)だよ。これが世界基準の反対理由だ。各地で行われているエセ反対運動を見てみろよ。

御用学者を担いではヘンテコなH理論を叫んでいる。私は環境運動家といってバカにしているけれど、彼らは一向にへこたれない。そしてドンドン風車を建設して喜んでいる。私は今や日本で一人だけ、風力被害を訴えて孤立してしまっている。由良町の人たちは、どうするんだろうね。いつまで「アホよら」と笑っているのか。

隣町の有田川町では、ハッキリと風力発電の被害を看板に書いている。それを見てもさ、何も感じないし、何も思うことはない。だって由良町に住んでいるんだもの。被害を否定して、何も聞いたこともないと薄ら笑いして喜んでいる。世界的にはさ、初めから答えはあるんだよ。私の孤独は由良町や日本だけで、世界市民としては当り前の選択だったと自負している。

残念なのは、日本に同じように風力被害を訴える人がいないことだ。それらの人が言葉を持てなかったことだ。北京原人やネアンデルタール人でも言葉を話したんじゃないか。由良に来て千年経つ。当時は住む人も少なくて淋しい漁村だった。古事記には神功皇后が来て、由良から九州平定、三韓征伐に船出したとある。

「由良の戸を~」と謡うその声は、大変なんだよ、という意味を帯びていく。百人一首では、「行方も知れぬ恋の道かな」となる。私は一人暮らしだけどさ。だからこんなに自由に自分の人生を生きているんだろうね。「知る」とは大変なことらしいで。