言葉狩り、

使ってはいけない言葉があって、それでもうっかり言ってしまって、恥ずかしい思いをしたことがある。外国人と食事していて、海苔のことをブラックペーパーだとかね。私に差別心はなくとも、その言葉を聞く方には敏感なことってあるもんだと気が付くのだ。添付記事は、東北の風力反対を伝えるものだ。

何かおかしいと思わないか。これはいつも私が指摘することだが、景観のダメージ、地下水が心配、をテーマに反対だと言うのだ。風力被害の一つ、シャドウフリッカーに対して環境省は「カーテンを閉める」、「植え込みの植物を設置して光が入らないようにする」などの対策を書いている。

どちらもマヌケなお話よ。風力発電には被害がある。その体験を書き込んだのが『風力発電の被害』だ。弾圧の嵐の中でよく書いたと思っている。環境運動家たちからは「ウソつけっ」と散々な罵声が浴びせられた。その人の本性がよく分かったよ。この本は谷口さんから夜の7時に電話を貰ってから亡くなるまでのことを書いている。

もう私のことは書かないでください、そう言っていた。そしてすぐに死んでしまったからね。人々は、「アイちゃんはガンで死んだんや」、「ガンで死んだんやで」と喜びを伝えてきた。何がそんなに嬉しいのかと驚いたよ。「風力発電はガンになる」ドナルドトランプはそうスピーチした。「Pathway todisease」ょな。

これが世界の常識だ。だから由良町の人や、環境運動家たちの喜びの声は異常なことだと私は考える。私一人が、「谷口さんは風力発電の低周波に苦しみ、それが原因で亡くなった」と訴えた。誰も聞く耳持たなかったな。ボロクソに罵られたものよ。私では役不足だったんだろうか。まだその時ではないと環境運動家は囁く。

太田道灌の歌に、「いそがずばぬれざらましを旅人の あとより晴るる野路の夕立」がある。少し待てばよいのに、と言うのか。あれから10年経っている。見物して終わっているじゃないか。沈黙は金だと? つくづく環境運動家の悪意を知る。彼らはプロの地域対策なのだ。ハッキリ言おう。エセ運動会よな。

反対運動といいながら本当の被害を否定するトリックにしているのだ。どこにも低周波被害、風車病に苦しむ現実がない。作り話。策略なんだよ。たくさんな署名とあるが、この人たちは「景観」が問題だったのか。中には風力被害者もいたんじゃないのか。同調圧力。反対なら何でもよい、川の水でも、地下水でもな。

土砂崩れは、もう笑い話の言い草になっている。「ワシらは土砂崩れなんだよ、ヘッ」と吐き捨てる。ゴロツキだよ。彼らは一切風力発電の低周波音を測定しない。何が被害の原因だとか、被害者を認めないから、そもそも何を言っているのか当人でさえ分からない。だってすべてがウソだからだ。オウム。受け売りの言葉を繰り返す。

彼らはいったい何者で、何を目的としているのか、それを知ることがまず先決だ。「低周波被害」の言葉がない。タブーなんだよ。これでもうその目的が確定されるのだ。海外の風力反対運動と比較して見れば良い。被害の内容は世界共通だ。日本だけ違う、なんてことはない。被害者への弾圧も同じだよ。

昨日の記事に続いて渡辺京二さんの記事が続く。珍しいね。死んで初めてその人の価値が分かる。そんな経験は私だけじゃないだろう。風力発電の被害では、こんな人はいなかった。汐見先生と、窪田泰と、他に誰かいたか。それも段々に風化していく。「風力発電被害」と検索すると、私の書いた本が在庫なしと赤く書かれてアップしている。

こんな嫌がらせばかりよ。風力発電には悪意ばかりが踊っている。ドッサリ用意していますから必要な人は利用してくださいな。ニーナビアポントや汐見先生のも必読書です。何が真実なのか、ご自分の良心を糧に判断すればよい。日本で進行している風力事業が、いかに悪いものであるか分かるで。