最近読んだ本

新聞が来ないな、と思っていたら、今日は休刊日なんやね。年末だからね。早いものさ。私も温州ミカンの出荷で大わらわさ。それで溜まった本を並べてみた。地球温暖化説、風力発電の被害、低周波音被害、結構な論説が賑わっている。新聞やテレビでは絶対にないご意見ばかりだ。マイナーなのか。そうじゃないだろう。

逆にさ、太陽パネルや風力発電の営業本と見比べたらよい。たぶんパンフレットと同じで大量に無料で配布されている。すべては税金だ。前ページに書いたように、1年間の再エネ賦課金は3兆8千億円もある。補助金を入れると、いったいどんな金額になるんだろう。東京都では、新築家屋の屋根にソーラーパネルが義務化されるという。

批判の声はあるんだろうが、誰も具体的に止めろ、とは言わない。とくに政治家、公務員さんはね。なぜなんだろう。それに対する反論、というか抵抗がこれらの本だと思っている。ただし、海外にあるように、具体的な行動として「Stop wind turbines!」の言葉はどこにもない。私が書いた『風力発電の被害』だけなのだ。

山田征さんとも話した。ところが公開されている動画を見ていると、最後に主催者は「地産地消の再エネの普及に頑張っていこう」と絶叫していた。拍手喝采だったよ。全然意味ないやないか。でもこの本はよく書けている。10冊も送ってきたから、小林先生らに配ったものよ。とても感心していて、ぜひ個人出版じゃなくて、広く世間に知らしめるべきだと言っていた。

学者たちの地球温暖化に対する不信感は、不安を煽るそのやり方に「まった」を掛けたいんだろう。例えば今、日本が消えてなくなっても、地球温暖化は止まらない。日本の排出するCO₂は、世界の3%だというのだ。もっと他にドッサリとCO₂を出している国々があるでしょう、ということだ。それらの国は、べつに地球温暖化を気にしていない。

それよりもエネルギー確保とか、貧困とか、経済発展の方が優先順位が上だ、ということなのだ。私は専業で百姓しているから分かるんだが、気候が温かくなって、二酸化炭素が増えれば植物はよく育つ。米が毎年豊作だし、蜜柑は甘くなって良いことばかりだよ。もしこれが冷夏になってみな。途端に凶作やで。そんなこと当たり前やないか。

ウクライナの戦争で、いかに化石燃料が大事なのかも分かったはずなのだ。あの戦争の放送で、太陽パネルや風力発電は出て来るか。そんなマヤカシは出る幕はないわな。天然ガス、石炭、石油なのだよ。なんやヨーロッパの脱炭素スローガンはどうしたんや。ウソだったんや。日本だけがアホみたいにセッセとメガソーラーや風力発電を作って、多額の費用を費やしていた。

何のために? その答えはこれらの本にはない。私は、たまたま30年ほど前に風力発電の計画に関係したことがあった。竹下登内閣で「ふるさと創生資金」1億円を使っての事業計画であった。各地に風力発電が作られたがすべて失敗している。風が吹かないのだ。インターネットで天気を見れば出ているけど、毎日、せいぜい1m/秒の微風でしょ。

山の上なら風があるのか。行ってみたら分かるで。私は山の上で蜜柑を作っている。10m/秒の風が吹いていたら仕事にならない。風力発電は詐欺だ、という所以だ。再エネ賦課金の3兆8千億円は、何かの役に立ったんかい。いったい今まで、どれだけ莫大な資金を費やしてきたんや。誰がそれを管理して、どんな収支になっているんや。経営の実態がないやないか。

その分、石油や石炭の消費が削減されたんかい。そんな話はどこにもない。環境運動家たちは、エネルギー安全保障のために風車が必要だという。バカ言え、風車を動かす電気の方が大きいだろう。彼らはどこまでもトリックでしかない。嘘八百の環境運動なのだよ。私は今やすっかり『民衆の敵』になっている。だからこの本も入れて撮った。

一人、本当のことを言うと、まとまった群衆は不信感を募らせる。原点はソクラテスの弁明にある洞窟の比喩だ。暗い洞窟に捕らわれた囚人たちは、篝火に映し出された影絵でしか情報はない。操られるままに、どうにでもされるのだ。真実を告げるものは殺される。これが人間社会の掟であった。日本では安政の大獄が有名よな。由良守應もやられたから私もグッと来たで。

ただヘロドトスの『歴史』にはそんな奴隷の町は滅んでなくなっている。そのような奴隷と一緒になるなんて御免なのさ。守應はその後、パリやロンドンで岩倉具視らと随分楽しんだと書いてある。吉田松陰らとは明暗を分けた。やはり生きていればこそだよ。これまで畑地区の谷口愛子さんらの被害者のことをたくさん書いた。

私の本にも各地で苦しみ狂う姿を書いた。明治維新前後にはたくさんの志士が粛清された。時代の転換点にいるようだ。由良町役場に電話してみな。これはイカンでと思うのは私一人ではあるまい。