国際化の波

先日、久しぶりに大阪の心斎橋あたりを歩いた。みんなマスクをしている。私も怖いからしているけどね。日曜日なのに妙に静かなことよ。そうだ、外人さんがない。奇妙なカッコした英語や中国語を聞かせる連中がいないのだ。静かでいいじゃないか、と私も思ったよ。大阪人も、インバウンドとか言う観光政策にはうんざりしている。

IRカジノなんてさ、危ない話やと警戒する人は多い。政治の「維新の会」の賞味期限はとうに過ぎているのだ。大阪経済の活性化のため、やて。そりゃ無理筋よな。あの時、黒門市場でも、まるで東南アジアの屋台村のような風景になっていた。鴨鍋で一杯飲もうとして店に入ると、外人ばかりが大声で話し合っている。そりゃぁ、みんな嫌がるわな。政治は全く機能しなかった。

コロナ禍のおかげだよ。日本人にも少しは考える時間を与えられたのだ。それでもどうしても分からない人々はいる。由良町議会では、全員一致してIRカジノの誘致を請願する議決をして各省庁に提出した。オッと、私は拒否したからね。彼らのアホさには参ったよ。これが政治の姿だったのだ。人々はボロクソに私を非難していた。

何がそんなに嬉しいんだろうと、彼らの怒りを交えた支離滅裂な悪口雑言に返事もできずにいた。今もそれは続いている。「風力の被害など聞いたこともない」とさ。さて、今朝の産経記事の不思議さよ。こんなにキッパリと分類できるんだ、と大胆な分析図に笑った。歴史家のトウィンビーは、いずれ日本はアジアに回帰する、と予言している。

原爆のこともあるし、絨毯爆撃の惨禍もな。かと言って中国の脅威は切り離せない。これをアジアの「へそ」というか。明治維新の時のメンバーと一緒やな。当たり前か。私はロシアのエリートや、中国の知識人と話したことが何度かある。すごくマトモで教えられることが多かった。歴史的な大国で、大きな責任を感じながらに話し始める姿は、とても小さな国特有の私なんかの及ぶものではなかったよ。

八紘一宇とかさ、大東亜共栄圏とかさ、昔の日本人はよくも言ったものだよ。島国根性丸出しの背伸びだったのだ。だからこの図は間違っている。こんなのを見て何も感じないのは日本人の狭小さだろう。横線じゃなく、縦線はどうなのかが抜けている。ヨーロッパ人は複雑怪奇だ。一括りにしてEUなんてありえない。大ぶろしきを広げ過ぎましたな。

でもよく書けているな、と内心思っている。由良町の山の中で百姓しているとさ、誰もこんな話題にならないからね。風力発電の低周波音で、こんなに被害者が苦しんで死んでいるのに知らん顔、いや、笑い話にして喜んでいる。とても人間とは思えないのだ。風もないのに風力発電が回っている。こんな奇妙な風景さえ、人は言葉にすることができない。

考えること、思考がないのだ。だから「考える会」ということは何度も書いてきた。洗脳作戦、地域対策の成果だよ。由良町で、私一人が風力発電の被害を訴えている。全国でも私一人になっているのは見ての通りだ。海外では、どこでも各地で抗議運動を起こしているのにね。答えは初めからある。だからその落差、違いが面白いんやろう。

騙されて多額の税金が奪われているのに、誰もその現実を言葉にできない。風や太陽光は自然エネルギーでさ、タダなんでしょ。それが何で年に数兆円の税金になるんよ。被害者は弾圧されて消されるんよ。笑い話にもならんやないか。日本人も、少しは気が付かないか。あの戦争の時と同じでさ、世界中を相手に戦うことになる。負けて占領されたんでしょ。

政治は役に立たなかったでしょ。歴史の繰り返しは止めようやないか。風力発電はアカンで。アホにされまくりよ。それを喜んで笑っている日本人て何なんや、と反省して見ないか。何のための風力発電なのか、とさ。市民風力のアホらしさを見たら分かるだろう。カルトなんやで。