日本国憲法という虚構

私は、今の現憲法は書き変えるべきだと考えている。法学の専門家ではないので、これがオカシイ、これがいけない、と個々にその個所を吟味はしたくないけれど、やはり占領憲法よな、と思うのだ。ところが先日のアベ事件でも明らかになったけれど、自民党の改憲草案と、韓国の宗教の文章が類似していることが指摘されていた。

「それでかぁ」と、あの自民党案を見た時の違和感が蘇る。産経新聞に全文が記載されていたから見た人は多いだろう。よくも恥ずかしげもなく、と思ったよ。これで本当の憲法改正はずいぶんと遠のいたと思う。政治団体なんてこんなにも軽々しいものだったのだ。つまりな、自民党には理想を憲法にまとめる意志なんてなかったことになる。

お祭り騒ぎの一つだったのだ。これは覚えておかなければならない論点だ。じゃぁ、誰があの自民党案を書いたのか。そしてそれを自民党案として堂々と公開したのか。あの時点で批判する人は誰もいなかった。今日の記事にあるように、9条がどうのと言う程度のガス抜きよ。今朝の記事で気が付いたのは、赤線で示したように個人攻撃していることだ。

もしこれが私だったら、と思ったのだ。風力裁判だよ。裁判所の不当な弾圧に遭った人なら気が付いただろう。すぐに逮捕されて拷問、弾圧の嵐だ。本当の、今の話だよ。この人なら許されるんや。産経新聞ならええのや、と思ったよ。そこにこの記事の意味が込められている。極めて政治性のある論点なのだ。だったら風力発電の被害だって同じだろう。

違うんだな。京大の小林芳正教授らが由良町に視察に来た時、「由良町はまだ徳川時代で、封建社会にあるのだ」とこぼしていた。何を言っているんだろうこの人たちは、と思ったよ。私はすぐに由良守應の投獄、追放処分の昔話を思い出していた。安政の大獄だ。吉田松陰など、たくさんの知識人が殺されていた。

何のために? と今も理解できない社会の有様よ。不条理、その時の政治権力によって何とでもされる。たまたま守應は幕末を生き抜いて明治に活躍の場を得る。岩倉具視を誘ってロンドンやパリの盛り場を歩くのはさぞや楽しかったことだろう。彼らの日記にもそう記されていると聞く。文明開化だ。それなのにまた封建社会だと言う。

私は前ページに、ソクラテスの弁で、暗い洞窟の囚人たちの姿だと書いた。人々は篝火の影絵でしか判断できない。外に出れば太陽が燦燦と輝いているのに、それがまぶしくて目が潰されると恐怖するのだ。この比喩が、日本に当てはまるとは思わなかったよ。だから小林先生たちは、それを見破ったのだ。

同時期にはジャーナリストたちが由良町に来て、「自分たちがどんな境遇、環境にあるのか、まず知らなきゃね」と社会の有様を断じていた。誰が見ても、オカシイものは可笑しい。今の時代に、チョンマゲ結って、重い刀を二本も差して歩いていたらヘンでしょ。私の祖父は刀を差してお寺の行事に出ていたと笑われたことがある。昔話よ。

とくに被害地域は情報が遮断されて孤立しているわけではない。今ではほとんどの人がサラリーマンとなって現金収入を得て暮らしている。都会に出て活躍している人もいる。それなのに何で? と思うのだ。私の風力裁判では、彼らの喜びようよ。そんなにもうれしかったのだ。由良町の、他の人々も同じことだったけどな。

私は、谷口さんらのように、被害に苦しみ、泣きながら死んでいった人たちがいることを見ている。被害地域の人たちも、度々、集められては低周波音被害の惨めさを目の前で聞いて知っているハズなのだ。(2019.2/7日のページに録音がある)我家の親の言い置きに「選挙に出てはならない」と言い伝えが残されている。私はそれを破った。

理由があったからだが、やはり先祖の言葉が正しかったと思っている。守應も政治とは無縁であった。陸奥宗光とは遊び仲間みたいなものか。一時期、東京で同居していたと言う。守應は酒飲みで遊び好き、陸奥は酒も飲まずに堅物であったらしい。いいなあ、こんな盟友がいて。私は日本で一人だけ風力発電の被害を訴えている。

他の自称、反対運動はエセであると書いてきた。彼らは、未だに被害を否定する御用学者を担いでは風力反対? だと繰り返している。「土砂崩れが心配」は屁理屈のトリックだ。現実の被害を訴えない反対運動なんて、嘘八百の集まりだ。そんな国の政策に、真正面から私が立ち向かう。提灯に釣鐘、と笑うか。

被害者たちでさえ、私を憎み、嘲笑う。これが風力発電の被害だ、と誰かが言わないとな。海外の風力反対運動を見ろ。答えは初めからある。日本だけが、封建時代にあるのだ。海外から見たらさ、チョンマゲのように、日本人の異様な姿が見えていると思うで。世界の笑われ者よ。