教職にもいろいろ

私は最初、数学教師になろうと思っていた。数字の計算さえできれば、その手順を覚えていればいいから簡単だと誤解していたのだ。妹が数学科卒で数学教師だったから安易に考えていた。それは後日のことだけど。ところが数学講座で微分・積分学が分からない。

私は土木科だったから、応用力学で高度な計算をしていたのに、同じ数学でもなぜかチンプンカンプンだったのだ。しょうがないからテストの時には隣の人の答案を写していた。それを見た教官が、よそ見をしないように注意した。大らかな学校だったのだ。

単位荷重法、仮想荷重法、カステリアーノ、高度なテクニックで構造計算をしてきた。仕事だから特に珍しくもなく、たくさんの構造物の建設に参加した。人様に教えるのは苦手だったかな。妹は教えることが好きだったらしい。それでも去年、35年も務めたわ、もういいわ、と言ってきた。

楽な仕事ではなかったようだ。私は勉強が苦手で、仕事についてからも担任の早川先生に助けを求めていた。それは亡くなるまで続いた。『風力発電の被害』を書いたとき、仮製本の段階で読んでもらってマズイ点を教えてもらった。教師にとって相性もあることだろう。

渡部昇一の本にもそんなことが書いてあった。長岡技大に入った時、研究室の人たちと先生宅に呼ばれてクリスマスを楽しんだことがあった。貴重な青春の思い出だ。同級生とそんな話をした時、へ~え、いいなぁ、こっちは全然だよ、と言っていた。研究室が違うからね。それぞれにやり方がある。

今日の産経記事には良い話はない。教師だって人間だから感情的にもなるだろう。生徒にも、その人にとっても大変なことだったようだ。私の場合、先生から怒られたし迷惑もかけた。恥ずかしくて言葉もなかったよ。私は人にものを教えるのが苦手だ。

とくに今苦しんでいる風力発電の被害については、いくら言葉を尽くしても足りることはない。たぶん、今、日本で私一人が風力被害を訴えている。「土砂崩れが心配だ」という人は、偽物だ。だってそんな被害者はどこにもない。だから海に風力発電を立てましょう、と言うのか。

低周波音被害なんて認めない、と言うのか。土木工事をやってくださいと運動しているのか。彼らのトリックに騙されてはならない。学校の先生連中でも、風力発電の低周波音被害を言葉にする人はいない。土木科ならなおさらだ。かつて、技術者倫理を唱えていた学者たち。

そんな人はすっかりいなくなっていた。倫理の崩壊よな。昔受けた御恩じゃないが、当時の学生時代がとても眩しく思い出す。人間性を取り戻そうじゃないか。楽しく話そうじゃないか。