やってはいけないこと

今、全国の各地で自称、風力反対運動をやっているから、関係者だけでなく、それらのイベントを目にした人もいることだろう。都会では見かけないけれど、なぜか東京で、私の書いた『風力発電の被害』が売れている。原因は風力業者が地元対策用に購入していた。私は苦笑いを噛みしめながら送付したよ。1冊1000円。

さすがに反応はない。すでに被害地や風力計画地では、反応があったものさ。「風力の被害など聞いたこともない」とかね。同じ言葉を何度となくあちこちで聞かされるから、指示系統があることが分かる。h24年当初、由良町でも被害者や地域の人々の間に、同じ言葉を同じ順序で話す人がいることに気が付いていた。

役場職員の話、町会議員の世間話、同じ話を被害者の谷口さんからも、この話を聞くのは何度目だろうか、とウンザリしたものよ。社会心理学の世界になっていた。これまで普通に生活していた人たちが、まるで魔法にかかったように同じ言葉を繰り返していたのだ。そして彼らは笑いあって喜んでいた。

何が面白いんだろうか、と私一人が奇妙に感じていたものよ。この本はh23 年11月末に、畑地区の谷口愛子さんから夜の7時過ぎに電話があったことから始まっている。すべて事実の羅列だ。私は建設コンサルタントの仕事をしていたので、そして土木学会などに論文を提出していたので、技術論文は慣れていた。

ただそれらの文章は定型文で、関係者以外には読めたもんじゃない。会議室で関係者を集めて、A1の図面を広げて説明する。いつもの仕事内容とは取り組み方が違っていた。掴みどころのない低周波音被害と、被害者たちの頑なに凝り固まった田舎根性のアホらしさよ。

私は自分のことを田舎者だと思っているが、段々に自分の先祖や、歴史上の活躍風景を感じるまでに高揚していた。このページにはこれまでそんな記事を何度か繰り返してきている。私の寄って立つ糧は、両親や祖父母から聞かされた、親類たちの話にある歴史絵巻であった。

元々が自慢話だから、さぞや見苦しいと感じる人もいたことだろう。それだけ私が弱いものであったということだ。被害者たち、地域の人々、役場や議員、奇怪な環境運動家たちを相手に一人奮闘したと思っている。その結果が、町会議員選挙の落選後の風力裁判だ。理由は何度も書いてきた。

畑地区だけでなく、由良町の人々、環境運動家たちは大喜びだったよ。それでその人たちの正体がよく分かったのさ。その時の気持ちをyoutube動画で「日本だけStop wind turbinesの言葉がない」と訴えた。人々はさらに笑って、サモ嬉しそうに伝えてきたものだよ。

次の選挙には誰も入れるものなんかないからな、と。今もそのままこの状態が続いている。分かる、とか、分からない、とかではなく、現実の社会が「風力の被害は認めない」と攻めかかってきた。

確かまだ畑地区には50人ほどの被害者が苦しんでいるはずだよ。風車から1.2㎞離れた我家ですら、すごい低周波音被害に苦しんでいる。煩いから私の住む門前地区には被害者は私一人だと書いてきたけれど、本当はそうでもあるまい。門前地区の住人400人のうち、私一人であるはずがない。それが一斉に私に牙をむく。

蔑視、毒気の塊に顔を黒ずませて睨んでくる。何がそうまでして憎しみを向けてくるんだろう。我家は旧家だから、それに対しての敵意なんだろう。私は一人暮らしで孤独に生きている。3haの田畑は、専業農家として広い方だろう。まだまだ生産量も売り上げもある。我家は百姓と言っても豪族の末だから気位は高い。

気が向けば高級官吏になった人もいると聞く。ただ、家柄自慢が祟って失脚したんだとか。これも事実だ。私はこの昔話が大好きになっていた。各地では、風力発電の低周波音被害、風車病が無視されて隠されている。「被害を訴えるものは精神疾患のもの」とする環境省の報告書の通りにされている。

心理コントロールが各地の風力反対運動の正体だ。だから私はそれらを「エセ」だと書いてきて詰った。「土砂崩れ」が風力被害であるはずがない。あたかも心配する風を装っての地域対策、世論の操作なのだ。被害地ではすでにたくさんの低周波音の被害者が苦しみながら死んでいる。

行政や政治には、道徳や良心、義務の心はないのか。風力裁判では、「低周波の基準はないんだよ」と警察や検察は言葉通りの弾圧をした。「あなただけでしょ」と繰り返した。司法、警察の崩壊だよ。谷口さんらが生前、御坊警察や検察に被害を訴え、働き掛けた結果だった。知らないよ、というわけだ。

真理を目の当たりにすると、感動したものよ。由良町を視察した議員団の報告書も添付した。イヤハヤ。この本を2016.9月に書き終えた時、谷口さんは隣町の本屋で4冊購入して知人に送ったという。「私のことはもう書かないでください」と言っていた。そして10月に逝ってしまった。人々は笑いものにして喜んでいた。