政治の貧困

何度同じテーマを書いたことだろう。私は、政治家というものは、もっと個人的にも優れた資質があって、夢とか理想とか、新しい時代を開いていく職業だと思っていた。だからか、4回も町会議員選挙に挑戦したものだった。まだ若かったし、応援してくれる人がたくさんいた。

その人たちと話すことが楽しかったのかもしれない。毎月の30万円ほどの給料も魅力的だったしな。風力被害では、被害者たちの立場にたって、ずいぶんと頑張った。それがかえって彼らからの反発に裏返る。いやぁ、驚いたし、とても失望したものさ。人は、これほどまでに弱いものなのか。

そしてアホでしかないのかと心底、怒ったよ。今日の記事はよく書けている。日本の政治には夢も希望もないのか。せっかく新聞代を支払って読んでいるのに、落胆させないでくれ。いつもの原発と再エネの広告記事にはうんざりしている。新聞の役割を自覚してほしいものだよ。

明治のころ、福沢諭吉などが書いていた新聞はもっと真剣だっただろう。平和は、こうも社会をダメにしてしまうのか。私の住む和歌山でも、政治の老化が囁かれている。さすがの私も言いにくいことだが、新しい人の出現を期待している。

この10年の間に、風力被害を通して見た政治家は、AI (artificial Intelligence)人工知能しゃあるまいにロボットみたいであった。とても人間らしさはなかったのだ。風力被害者を弾圧する風景は、水俣顔負けだったよ。それが映画「MINAMATA」や、「アンナハーレント」になっていく。

つまりな、人々は内心、そうやと思っているのだ。でないと、こんな暗いテーマが日本に蔓延るかいな。行政は拒否しているでしょ。人々は、結局は服従でしかない。まるでアウシュビッツの看守さんだよ。言っとくが、逃げ出したユダヤ人は復讐を決意してたくさんの処刑を行っている。

日本人にはどうしても、復讐の心理が分からない。行政が、政治が、本来の義務を逸脱して居丈高になるとどうなるのか。我々は大本営の発表の大嘘を聞いてきたじゃないか。今も同じなんやで。既成の政治に期待するのではなく、新しくやり直そうじゃないか。

でないと本当にヒトラーやムッソリーニ、東条英機の二の舞になるで。それを見ているルーズベルトやチャーチル、スターリンがいる。今はChinaか。日本は政治危機にある。風力被害を通して見た一つの結論だ。