誰かがやらないと、

ウクライナのこと、鎌倉幕府の滅亡、明治維新、それらを見ながら、結局のところ誰かが命を懸けて叩き壊さなければ次の時代はない、ということだ。たまたま我家には由良守應がいて、幕末明治の動乱を今に伝えている。たくさんの物語があるから話のネタは尽きない。

映画やテレビでも、歴史研究でも、いくらでも深堀ができる。たかだか150年前の事なのに。我家は南朝方で、楠正成らと共に戦って滅んだから、なおさらこの記事が気になった。よく書けている。前ページには環境相が再エネ推進に努めていく、という記事を紹介した。

風力発電も太陽パネルも、各地で反対運動が起きている。被害者は、どんなに訴えたところでそれが認められることはない。逆に弾圧の嵐よ。それが周囲の人々には可笑しいらしくて、村八分、虐待、追放にまでなっている。誰も被害者を助けようなんて人はいない。恐ろしい風景だよ。

守應は、幕末も、維新後も、刑務所に入れられていた。時の権力に逆らうと、どうなるのかよく分かったことと思う。安政の大獄を思うと、よくも殺されなかったものだよ。吉田松陰など、たくさんの志士が殺されたんでしょ。それがよ、維新後は、早々に江戸城、皇居の前、清水御門前に広々とした屋敷を構えている。

桶町の千葉道場の門弟たちと牛や羊を飼って、牛乳を販売していたというのだ。武家の商法よな。インターネットで検索すると、千葉道場のサイトにそんな記述が載っている。剣術使い。御三家の門前で、結構な臭いと、メ~ッ、と鳴く羊たち。これもプロパガンダだったんだろうか。

徳川の武士なら、泣いて悔しがったに違いない。トラブルは聞いていない。和歌山の家族らが江戸見物に行った時、大層なもてなしだったらしい。不思議に我が家にはその時の文物は何もない。手紙一つない。つまり、何か真空の世界があったようだ。写真の屋敷跡には古井戸があるから、何かないか探してみるつもりだ。

あの時代にレンガ造りのカマドがあったらしいから贅沢をしていたはずだ。芸者遊びが趣味であった。とまれ今の有様よ。韓国の宗教との結びつき、公明党という宗教、成長の家、とか、政治家の尊厳は地に堕ちている。自民党の憲法改正案が、なんかヘンやなと思ったら、統一教会の文面だったらしいのだ。

汚らわしい。政治不信など、とうに通り過ぎている。崩壊しているやないか。幕末と同じよ。1945年とかね。新しい人でやり直すしかない。明治も、あの戦後も、そうやって取り繕ってきたやないか。各地の風力発電反対運動も、よく見れば被害否定のトリックになっている。

その事実に気が付いているのは私だけではあるまい。汐見文隆医師は有名だったし、精力的に全国に出かけて低周波音被害を訴えた。それを見て知っている人がたくさんいるはずなのだ。それが何で「土砂崩れが心配です」となるんだい。おかしいじゃないか。日本の歴史には、何度となくガラガラポンがある。

その度に再生される。「歴史の必然」よりも、そこに住む我々日本人が繰り返してきた歴史なんやで。風力発電に反対しよう。被害に抗議しよう。風力被害を通じて、その人のことがよく分かったやないか。信頼とか、裏切りとか、冷血、アホさ加減、被害者を踏みにじる奴は許さない。変革にはチャンスやで。