日本人の転落

盆にやっていた戦争ドキュメンタリーで、ミッドウェー海戦などの顛末が悲惨なことだった。大本営発表の嘘八百と、新聞やラジオでのプロパガンダの酷さよ。日本人の弱点をこれでもかと見せていたのだ。今日の産経記事にも同じことが書いてある。日本人の転落よ。

私は由良町で、谷口さんら風力被害者が苦しみを訴え死んでいく過程を訴えてきた。人々はそれを見て笑って喜んだのだ。由良町役場では議員は手を叩きながらジャンプを繰り返して笑って見せた人もいた。何がそんなに嬉しいのだろうか、と今も不思議でならない。

由良町で起こった悲劇は、伊豆や伊方でも先行して行われていたと聞く。和歌山県内でも下津町や広川町で同様の事件として汐見先生が冊子にして伝えている。まさかな、許せることではなかったのだ。仮に由良町にミサイルが飛んできて死者が出たとする。人々は笑うんだろうか。

78年前、由良町にはグラマンが来襲して百人ほどの人が死んでいる。菰に包んで積み上げたという。汁が流れ出ていたのが気持ち悪かったと。もう一つの記事はヤラセのデモだ。日本でもすっかりお馴染みになっている。それだけ社会不安を煽る勢力が日本に巣食っているということだ。

こんな田舎にもそんなアホはたくさんいて、天皇なんていらんで、と真顔で言っている。恐ろしい日本人がいるものよ。我家はその筋なんだ、と言いながら、旧家ですからと歴史の重みを何とか伝えようとするけれど、全く通用しないね。彼らには何か歴史の恨みが積み重なっているんだろうか。

ルサンチマン、恨みの人とかさ。梅原猛が以前、書いていたけれどあまり広がらなかった。私にもよく分からなかった。尻切れトンボで、今も宙ブラリンよ。同じ策略が、各地のエセ・風力反対運動だ。これは由良町で目の当たりにやられたから、とても敏感によく分かる。

風力被害者になるのは誰だか予想はつかない。本人の体質、年齢、住環境、あとは運次第か。被害者でなくっても、地域対策の嵐に巻き込まれるから、それまでの生活感は大きく変化してしまう。ヘッ、と被害者をあざ笑うようになる。優越感に嬉しくてならないのだ。

この辺の差別意識はとても厳しい。私がそれらの蔑視に耐えていられるのは家柄意識だろう。一緒にしないでくれ、元々が違うんだよ、というプライドだ。歴史にはこんなバカはたくさんいたと思う。中国の史書にもいろんな哲人がいる。やはり読書の賜物よ。産経記事には「日当」と書く。

各地のエセ運動会は、間違いなく日当やろ。政府は莫大な再エネ予算を計上している。被害を訴えるものなど精神疾患でしかない。ゴミだよ。これだけの被害を出しながら「土砂崩れが心配だ」と繰り返す。土木工事をしっかりやってください、ということなんだが、地域の人々が抗議することは全くない。

地元にもお金を落としてくださいな、という媚になっている。そりゃぁ、恨みが籠ってしまうわな。わずかな協力金で地域社会が破壊される。原発の時と同じだ。昔の反原発とは違って、今の原発連中は再エネだ、再稼働だと言っているでしょ。支離滅裂なのに分からないらしい。

その程度の人たちだったのだ。「デモごっこ」、うまい表現やね。それに対抗する日本人がいないとなると、平和ボケもここまで来たか。給付金の10万円を貰ってもさ、一瞬で消えてなくなるでしょ。これから酷い日本社会の現実を見るで。何が悪くて、何が間違っているのか、ハッキリと判断しておこう。

政府や新聞なんかを信じていたらエライことになる。78年前の古い新聞を見て見な。今も同じ日本人が、同じ生活をしているんやで。風力発電は詐欺だ。かなりな悪で日本社会を破壊している。偽物の反対運動を見破ろう。被害者を助けよう。由良町の風力発電を撤去してくれ。