日本人よ、考え直してみないか。

たとえ話にするには少しズレているんだろうが、戦争に行ったら、こんな話はドッサリとあるらしい。産経記事は再エネと原発の広告新聞だから、こんな記事を見ても鼻白む。しかし小説家の書いた有名な場面だ。漫画にもなっているから見た人もいるだろう。梅津参謀総長の衛兵を最後までやっていた人が近所にいた。同じ連隊の人はすべて南方戦線に送られて戦死したと聞く。

最後までそんな自慢話を、同じ話を聞かされたものよ。「人間というのは運やな」そう結論していた。なぜ私に戦争の話をしたのか分からない。その人の家族は私にとても悪かった。親父は、気にすることはない、放っておけ、と教えてくれた。盆にはいろんな人が我が家の裏を通り過ぎて墓参りをする。よっぽど私を憎いんだろう、と満面の敵意、嫌悪を見せる人がいる。

顔をドス黒くしてまで毒気を発していたものよ。風力発電の被害だろうか。いや、他所に住んでいる人もいるから、低周波音被害を受けなくとも、ご家族の言葉に迎合して感情を高ぶらせているんだろう。哀れな風景よ。60年前の祖母との思い出は前ページに書いたとおりだ。「あんな戦争で死ねるかよ」祖母の弟は我が家でそう言っていた。彼は楠正成の子孫だよ。

しかし祖父方の姉妹には戦死者がたくさんいて、複雑なものだった。嫁いだ先の都合もあるんだろう。さて風力発電の被害だ。これはあの戦争の時と同じ状態になっている。大本営発表の大嘘よ。我家ですらそのウソは分かっていたというから、全国には我家のように本当の事実を知っていた人はたくさんいたことだろう。先日、NHKで5.15事件の犬養毅をやっていた。

あの時点で、「戦争を止めろ」と主張したという。昔、陸軍、今、環境か。政府はまた再エネ投資にドッサリと予算を計上している。電気、電源の役には立たなくとも、経済効果があるらしい。もともとはすべて税金なのにさ。私はたまたま建設コンサルをしていたので当時の風力発電を少し知っている。日本には風力発電を稼働させるだけの風なんか吹いてはいなかった。

30年経ったら、日本にも風が吹くようになったんだろうか。そんなわけないわな。グレタさんをはじめとするプロパガンダ、国策の権力に任せてのゴリ押しだよ。誰か反対してもよさそうなものなのに、汐見文隆医師ら、ほんの少しの人しか言葉を持たなかった。それどころか、あたかも風力被害を心配して反対だと言っていた人が、被害者を弾圧して黙らせていたのだ。

あるいは明らかに御用学者と結託して風力被害を否定していたのだ。「風力被害とは土砂災害だ」と言うんだから言葉もなかったよ。これが環境運動家たちの正体だった。今日の御坊市の天気を見るがよい。どこに風なんか吹いているか。それなのに山々に林立する風車は勢いよく回っている。よっぽど電気が余っているんやで。誰もそれを不思議な光景だとは思わない。

被害者の私が見ると、目が回りそうになる。それほど恐怖の風力被害なのだよ。谷口さんらが悲鳴を上げて死んでいったのを見た人もいるだろう。なんで笑って喜ぶんだよ。ひどいじゃないか。あの戦争でも、そこまで人の精神は落ちてはいなかったと聞いている。日本人は、心理コントロールによって、簡単に転落していたのだ。

もしこれがグローバル企業による日本支配の作戦の成果だとしたらどうする? あの政治家たち、行政マンのアホらしさを見て信じられるか? 添付写真は由良町の被害地域だよ。たくさんの被害者が苦しみながら死んだんやで。なんで誰も抗議の声を上げずに私を攻撃するんやろう。もう一つの写真、火の付いた大松明を担いで、今も私一人が釜場を回っている。釜場、分かるよな。