馬の耳に念仏か。

低周波被害の研究者が記事になっている。健康に影響するという。ところがこの地域には既にたくさんの風力被害者がいるらしくて、わざわざ外国の事例を紹介するまでもない。目の前の日本人の被害者を助けてやれよ。同じ紙面には、風力計画に反対する地域の様子が紹介されている。

何と、第一に、景観。健康被害は第四なのだ。おかしいと思わないか。この記事を読んで、何かが歪んでいる、と言うのか、被害者は付けたしか、という現実が、理解までに時間を要するのだ。つまりな、これらの記事は、地域対策の一環なのだ。先日のドイツのトリック記事を添付した。

同じ騙し絵になっている。最初から風力被害者を黙らせるための心理ゲームなのだ。サイトの写真を見るだけで、それがどちらの側にあるのか分かるという。大体分かるわな。被害を訴えているのか、そんなものより大事なことがある、と訴えているのか、嫌というほど見てきたやないか。

ドイツのトリック記事では10H ルール、風車の高さの10倍の距離を離せ、と結論する。被害者をバカにするな。同じように、長周記事では、被害者をどうする、なんてことは書かない。もともと被害がないんだよ。他所の神さんを紹介してスゴイでしょ、というだけのガス抜き、環境運動会よ。

日本だけ、「Stop wind turbines」の言葉がない。なぜなのか、この記事は冷酷に告げているのだ。爆弾抱えて自爆攻撃させておいて、お国のためなんだよ、と吐き捨てる。それと全く同じ心理よな。靖国神社精神とでも言うのか。「被害者を助けてやれ」、「被害者の話を聞いてやれ」、そんな善意の話は私だけなんか。

元々は汐見文隆医師の言葉であった。被害者に対するあまりの酷さに、たくさんの冊子や本にして、各地に配布して知らしめたものよ。それをまた環境省は「被害を訴えるものは精神疾患のもの」と書く。政治や行政は、低周波被害はない、とキャンペーンする。

水俣や福島と同じで、この国はいったいどうなってしまったのか、と思わないか。世界的に見ると、実におかしな事態なんやで。日本人の誰もが「Stop」と言わない。言えないのだ。そして被害を訴えるものを嬉々として蹴り落とす。何がそんなに嬉しいんだろうか。映画『MINAMATA』を拒否した水俣市とは何なのか。

それは由良町でも同じことになっている。「被害なんて聞いたこともない」と。最初、私は仕事だからそうなるんだろうと勘違いしていた。違うな。その人の本質、真実が被害者を認めない。たとえ目の前で苦しさを訴えながら死んだとしても、その事実が理解できない。医者であっても金儲けのダシでしかない。

何か言ったら汚い言葉で吐き捨てられるだけよ。「医者へ行けっ!」と。そこが医院なのにね。「社会が破壊されるんやで!」ジャーナリストたちは私にそう伝えたけれど、今となっては、もともとそんな社会でしかなかったんやと分かっている。10年前の初めの頃は、それはみんな驚いたものだったよ。

死んでいった被害者はお気の毒さま。私なんかズーッとコテンパンにやられている。日本で一人だけ、風力発電を撤去してくれ、と訴えている。真面目に心配してくれた人もいた。それが今はとてもうれしい記憶になっている。裏切者はごめんだ。敵か味方しかない。味方のない今、これからどうするかいな、と考えあぐねている。

全国では、毎日、ドッサリと被害者が苦しんだり死んでいることだろう。なぜ誰もそのことを言わないのか、なぜ私だけなのか、まるでガリレオの「それでも地球は丸い」と言っているのと同じやね。いやいや人間社会は変わることはないだろう。国のやることに逆らってまで、風力発電の低周波被害を訴えるのは私一人でよい。

あとは呆けていれば幸せになれるらしい。「関係ない」と。アナタはいったい何者か。ドイツ人は今でも同じ言葉を言っている。「私たちは知らなかったんです」