新たな企み

7/24、25日のページに風力発電の低周波音被害を論じるサイトを紹介した。見事な文脈で、構成がまるでマニュアルになっているでしょ。素人さんの書いたものではないわな。私は設計コンサルタント会社に勤務していたので、こういった環境屋の書いた文章にはピンとくる。お仕事なのだ。

過ぎたるは、と言うのか、勇み足、と言ったらいいのか、心理コントロールして「納得してもらいますよ」と行間に滲み出ているのだ。非情、冷血、残忍な目的よ。何が悪いのかは、それぞれに思い描くとよい。被害者はどうするんよ、ということだ。長周記事には宮城や福島で風力に反対するとあった。

でもヘンやと思わないか。添付地図のように、既にたくさんの風力発電が建設されている。被害者も苦しんでいることだろう。環境団体などが一緒になって、自然を守りましょうと結論する。アレレッ、何も変わらんじゃん。7/24日のページに載せたドイツのトリックと同じやり方よ。

今、「風力発電被害」と検索するとこんな欄になっている。以前にはなかったことだよ。もちろん被害隠ぺいトリックの続きになっている。これはさ、あの水俣病の時でも、同じやり方だったでしょ。水銀を測らない。測っても認めない。因果関係が分からない。いろんな学説が必要だ。

もうハチャメチャだよ。今ももちろん被害者の弾圧は続いている。特殊な地域風土病になっている。福島もな。そのような着地点を作っているのだ。人間牧場よ。いや、家畜にされた人間、奴隷みたいなものよ。だから「MINAMATA」映画が作られたんでしょ。水俣病は終わっていない。今の物語だ。

それと同じなんだよ。私は、なぜ人が人に対して、こんな酷いことができるのかと驚いている。被害を訴えたら、それこそターゲットにされて虐め殺されてしまう。逃げ出したのか、叩き出されたのか知らないけれど。その集落を捨てて引っ越しできた人が正解なのだ。とても羨ましい。

それができないからこそ苦しみながら死んだ人たちがいる。笑いものにされて可哀そうだったよ。それが風力発電の被害なのだ。つまりな、こんな被害がありますと丁寧に書いて知らせて、被害者の存在は認めない。嫌なら出て行け、ということだ。カネ欲しさにこんな仕事しかできないとは哀れではないか。

オッと、和歌山でもそうだからね。谷口愛子さんの話は有名だろ。私なんかはもう全国から総スカンだよ。環境運動家、環境ゴロ、グレタさんの焼き直しで、オウムの様に教えられた言葉を繰り返す。どんな人生だったのかは知らないが、こうはなりたくないな、と反面教師にしている。

私は違う。自由で豊かに楽しく暮らしたいのだ。日本に奴隷制度は似合わない。こんなトリックに騙されるのはアホやで。風力発電に反対しよう。被害に抗議しよう。エセ反対運動に騙されるな。