順調に売れている。

『風力発電の被害』も三刷になった。ほとんどは代金を支払っていただいている。当初の500冊は議員だったこともあり、適当に関係者に配布すればよいと考えていた。支援者から、ぜひ知人に読んでもらいたいから、ということで4、5冊渡したことがあった。

その内の一冊はボロボロにされて我家の蜜柑畑に捨てられていた。あるいはこの本を読んで私を拒否する人が明らかになった。蔑視。被害者に対する差別根性だ。これは水俣病でも同じ場面があったからよく分かったよ。違うのは、私が旧家のボンだったことだ。アホにするな、ゲスが、と思った。

h24年の当初は、添付写真のようにチラシを作って新聞の折り込みに入れたり、汐見先生の資料とともに被害地域に配布していた。イラストは東伊豆町のものを借りた。みんな手探りだったのだ。結果は総スカンだった。選挙結果を待つまでもなく、どなたさんも、激しい感情を露わにして怒鳴りつけられたものよ。

「出て行けっ」とさ。これまで気軽に話していた百姓からも、せせら笑いと共に拒絶が始まる。村八分。人物破壊とはこういうものなのだろう。私のこれまでの人生だって、そう褒められたものではない。穴を掘って隠れたくなることもある。もともとが小心者だからね。

これは我が家の血筋の特徴だ。だからこれまで延々と生き延びてこられたのだ。とまれこの本はタダで配ってはならない、とその時すぐに気が付いた。私を叩く格好のネタにされると気が付いた。環境運動家からは「ウソ書くな」と何度も繰り返して言われている。

畑地区の谷口さんらの苦しみを直接見て聞いて知っているのにね。風力業者の手先とはこんなものだ。まったく悪事を隠すことはない。悪事がその人の正体なのだ。今も各地に「土砂崩れが心配だ」と繰り返すアホな工作員がいるでしょ。もちろんタクトを振っているものがいる。

全国各地で連携しているから執拗だ。組織的にやられるから、普通の人には真実の姿が見えることはない。虚構、作り話、騙しのテクニック、マニュアル化されているから誰かその仕組みをまとめて告発すればよい。言葉は変えているけど、それは環境省の受け売りでしかないことが分かるだろう。

『風力発電の被害』は、沖縄から北海道の果てまで、実にくまなく配布された。買ってくれた人とは電話で話したり手紙をもらっている。それぞれに切実だ。由良町は稀に見る凄惨な被害を見せたが、伊豆や伊方のように、どこでも被害者たちは泣き寝入りにされて消されていった。

それを見て環境運動家は大喜びだ。この点、彼らはカルト宗教の狂信者、ナチスの虐殺と同じ心理を抱いている。オーム宗教がそうだったでしょ。ボアしてよかったねと。風力事業にはこんな側面が初めから計画されて実行されている。

この本には、谷口さんから悲鳴のような電話があって、2016年に亡くなるまでのことが書いてある。被害者の悲しみや嘆き声、怨念、恨みがしみ込んでいる。知らない人ではない。これまで普通に楽しく暮らしてきた人たちが、互いに罵り合い、その死をあざ笑う。

社会の崩壊がどんなものかを見せたつもりだ。風力発電の被害は進化している。早く次の本を書かなければならない。ジャーナリストや環境運動家たちは全国大会だと言って、温暖化や脱炭素の言葉にすり替えている。それを誰も批判する人がいない。

なぜな! 日本のメディアは絶対に被害の事には触れない。風力コマーシャル。スローガンを繰り返す。「明日では間に合わない」と。