日本の政治家の正体

議員をやっていた時、あちこちの会合に招かれて食事などを楽しんでいた。たくさんの情報、世間話が飛び交い、政治談議という特殊な閉ざされた社会があることを見た。多少は驚いたこともあったと思う。「議員飯」と言って、高価な弁当や宴会がある。最初はすごいな、と思っても、次第にそれらの贅沢になじんでいく。大体はそれでダメになるようだ。

選良。自意識過剰というか、動物園やなと思った。私は当初から孤立していた。べつに風力問題があったから、ではなく、特異な存在に見られていた。一人、旧家のボンだったからだろうと思っている。やがて町民の険しい、厳しい評価に遭う。何でやろ?と思いながらも、風力被害地の畑地区ではヒステリックな拒否に驚いていた。今もそうだけど。

なんと人々のしつこいことよ。ある「議員の会」に出かけた時、風力発電の低周波被害により大変な健康被害、事件が起こっていると訴えた。私の書いた『風力発電の被害』のことも説明した。なんか言葉だけが上滑りしていく。その地域にもとうに風力被害者がいて懸命に被害の苦しさを訴えているのに。

帰り際、議員の一人が言うことには「我々にはもっと大切な仕事がある。あんなことは市民運動家のやることだよ」と言って笑っていた。そう言えば全国で風力発電の被害を訴えたのは私一人であった。今も誰もいない。土砂崩れじゃないからね。水俣では日吉フミコという議員が一人で被害を訴えて、大変な弾圧を受けたと聞いている。

あー、私も同じことか、と思ったよ。畑地区の谷口さんも散々な嫌がらせをされたと言っては電話してきたものよ。被害者になって苦しむとはこういうことなのだ。じゃあ政治家、議員の仕事とは何か。票集め、利権アサリ、権力志向、思考停止、関心のある人なら、関係者なら当たり前の現実に当然だと思うだろう。

今日の添付記事のように、誰が戦場にまで行くかよ。畑が違う。公害に触れる人がいないのと同じで、戦争反対、それしかない。あの湾岸戦争の時もそうだったでしょ。お金をたくさん取られて、感謝もされずに世界の笑われ者よ。今回も全く同じ轍を踏んでいる。あわよくば金儲けになればと思っているだろう。戦争はカネになるからね。

ヘロドトスの『歴史』にはこんな町の話が書かれている。やがてそれらの人々は奴隷にされたと書いてある。ギリシャ界隈は今でも戦争ばかりしているから日本とは違うだろう。しかしな、彼らの考え方は大昔と変わってはいない。戦争が怖いと言って逃げられるものではない。奴隷にされるとはどういうことなのか、今も世界中に見られるやないか。

私は、奴隷たちの議員になどなりたくはない。私を嘲笑する人を見るにつけ、それで生きていけるんだから大したものだと思っている。政治と行政の仕組みは、泥沼よ。私は自由に生きていくつもりだ。風力発電の被害を通して、人々の有様がよく見えた。これだけかな。田植えも終わった。みかん畑の消毒が大変だ。